下栗原村(読み)しもくりばらむら

日本歴史地名大系 「下栗原村」の解説

下栗原村
しもくりばらむら

[現在地名]山梨市下栗原

歌田うただ村の東にあり、笛吹川の支流川とおも川とに挟まれた平地に広がる。甲州道中宿場である栗原宿が設置されていた。南は日川を境に八代郡小城こじよう(現一宮町)、北は重川を境に下石森しもいしもり村。「甲斐国志」によると古くは当村は上栗原村・なか村と一村であったとしている。中世栗原郷に含まれた。慶長古高帳では高五八九石余、領主名の記載はない。ほかに五社(現大宮五所大神)領七石余・天白てんぱく(現大日神)領二石余・阿弥陀免領三斗余・大滝おおたき不動領三斗余・愛刀大明神領二石余がある。元禄郷帳では幕府領大宮五社領。宝永二年(一七〇五)甲府藩領、享保九年(一七二四)幕府領石和代官支配となる(甲州三代官領知村付及高帳など)

下栗原村
しもくりばらむら

[現在地名]上郡町栗原

山野里やまのさと村の西、安室やすむろ川の支流なしはら川下流に位置する。応永二七年(一四二〇)三月二〇日の某院院領年貢・公事書上(尼崎市教育委員会所蔵文書)に「播磨国竹万庄栗原村」とみえ竹万ちくま庄のうち栗原村は赤松(春日部流)顕則(安峯)菩提のために赤松越州(持貞か)から応永二二年八月に某院に寄進されていた。栗原村の総田数は一四町二反余、畠は一町二反余でうち一反余が安室のうちと主張する安室氏により押領されていた(ただし追記によれば同二九年に回復している)。なおヤヲ(矢保)ノ三郎大夫・高山刑部・別名左近・同大郎大夫など周辺地名を冠した耕作人名がみえる。

江戸時代の領主の変遷は元禄一四年(一七〇一)までは上郡村に同じ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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