赤穂郡(読み)あこうぐん

日本歴史地名大系 「赤穂郡」の解説

赤穂郡
あこうぐん

面積:一五〇・二八平方キロ
上郡かみごおり

県の南西端に位置する。上郡町一町で一郡を構成する。古代から近世までの播磨国赤穂郡域は現相生市・赤穂市域を含み、北は佐用郡、東は揖保いぼ(古代末に二分された後は揖西郡に)、西は備前国和気わけ郡に接し、南は瀬戸内海に面していた。郡域は千種ちくさ川の中・下流域にあたり、南部で赤穂デルタが発達するほかは、西播山地および西播丘陵に刻まれた狭い谷底平野である。海岸部はいずれも沈水海岸である。

〔古代〕

和名抄」東急本の読みは「阿加保」で、享保八年(一七二三)版の「延喜式」神名帳では「アカホ」である。千種川流域には有力な氏族の成長を示す規模の古墳は未検出であり、また奈良時代以前に関する文献史料が乏しいため、湯坐部・他田部・春日部の姓をもつ人名から郡内に名代・子代の存在を推定できるにすぎない。「播磨国風土記」は当郡条を欠く。天平一九年(七四七)二月一一日の大安寺伽藍縁起并流記資財帳(国立歴史民俗博物館蔵)に奈良大安寺の墾田として「赤穂郡十町」とみえる。同年九月二六日の勅旨(東大寺要録)に「播磨国赤穂郡五十戸」とみえ、金光明こんこうみよう(のち奈良東大寺)の食封に充てられている。天平宝字六年(七六二)頃の東大寺造金堂所解案(正倉院文書)に赤穂郡の封戸から七〇匹を輸したことがみえる。「和名抄」は当郡に坂越さこし八野やの大原おおはら筑磨つくま野磨やま周勢すせ高田たかた飛鳥とぶとり(東急本では「飛取」)の八郷を記す。養老令の基準では中郡(「令義解」戸令定郡条)。このうち坂越郷は藤原宮跡出土木簡に「坂越里」としてみえる。延暦一二年(七九三)四月一七日の播磨国坂越・神戸両郷解案(石崎直矢氏旧蔵文書)に「赤穂郡坂越郷神戸両□□解」「神戸里」とみえる。なお郡衙は有年原うねはら田中たなか遺跡(現赤穂市)に比定する説もある。郡内には大安寺墾田のほかに、奈良西大寺の塩山(宝亀一一年一二月二五日「西大寺資財流記帳」西大寺蔵)奈良東大寺の塩山(前掲播磨国坂越・神戸両郷解案ほか)が存在する。東大寺の塩山はのちに東大寺領石塩生いしおい(赤穂庄)とよばれる(大治五年三月一三日「東大寺諸庄文書并絵図目録」東大寺文書ほか)。延暦一二年五月一四日の播磨国坂越・神戸両郷解案断簡(同文書)に赤穂郡司としてみえる秦氏一族として、年次不明の平城宮跡出土木簡に赤穂郡大原郷の秦造吉備人や同酒虫、「三代実録」貞観六年(八六四)八月一七日条に「赤穂郡大領」秦造内麻呂がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android