下布施村
しもぶせむら
岩船村の北西に位置し、東西の丘陵の間を落合川が北流し、大多喜城下(現大多喜町)と御宿海岸(現御宿町)を結ぶ道が通る。近世初期の布施郷・布施村が上・下に分立して成立。さらに下布施村は大寺・谷堀・町台・名熊・硯の五村に分村した。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に布施村がみえ、高三千五八〇石。慶長五年(一六〇〇)の大多喜藩領分高付帳(大木家文書)では布施郷とあり、高三千八七六石余。
下布施村
しもふせむら
[現在地名]木次町北原
南東は槻屋村。正保国絵図に村名がみえる。元禄十年出雲国郷帳によると高一七〇石余、寛文四年(一六六四)には本田高一七〇石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報