上平山村(読み)かみひらやまむら

日本歴史地名大系 「上平山村」の解説

上平山村
かみひらやまむら

[現在地名]佐久間町上平山

大井おおい村の南にある。南流する天竜川の左岸竜頭りゆうとう山の南西山麓緩斜面に散在する。周知すち郡に属する。至徳三年(一三八六)六月二七日の管領斯波義将奉書(富田仙助氏所蔵文書)に「遠江国大峰・平山・犬居村」とある。近世初頭に上平山と下平山(現龍山村)に分れたとみられる。正保郷帳に上平山村とみえ、豊田とよだ郡に属する。永高三貫九八七文、幕府領。うち寺領一四三文。元禄郷帳では周知郡に属し、高五四石余。旧高旧領取調帳では幕府領五一石余・秋葉寺(現春野町)領一石余・竜泉りゆうせん(現曹洞宗)除地九斗余・観音除地四斗余・八幡除地一石余。秋葉街道の西坂口にあたる(遠江国風土記伝)。嘉永七年(一八五四)の小前帳(増田家文書)によれば高四八石余、中畑八反余・下畑三町三反余・下々畑一町余・下茶畑七反余。

上平山村
かみひらやまむら

[現在地名]荒尾市上平山

つつヶ岳の北西裾にあり、北西部をせき川が流れ、東は小岱しようだい山を境として宮尾みやのお(現玉名郡南関町)、西は上井手かみいで村、南は平山ひらやま村、北は関川を境として筑後国三池みいけ(現大牟田市)に接する。近世は荒尾手永に属する。寛永郷帳までは平山村にふくまれていたが、明和元年(一七六四)には分村している(上平山村田畑地引合帳)。「国誌」には平山村を三ヵ村載せ、それぞれ上平山村・本平山村・下平山村と称するとあり、上平山村では「本村庄山村金屋村等ノ小村アリ」と記す。

上平山村
かみひらやまむら

[現在地名]山鹿市平山ひらやま

(四〇九・二メートル)の南麓、高取たかとり(三二八・四メートル)の南西麓に位置し、東はじよう村、北は芋生いもう(現鹿本郡鹿北町)上十町かみじつちよう(現玉名郡三加和町)、南は平山村と接する。「一統志」が平山村に記す「八幡」や「権現」は「国誌」では当村に記されるので、平山村からの分村と思われる。山鹿手永に属する。宝暦一四年(一七六四)の地引合帳に村名がみえ、「国誌」には高五六一石余、「中村中原村小原村釘ノ尾村湯山村篠原村原村内野村後嶽村八木村等ノ小村アリ」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報