佐久間町(読み)さくまちよう

日本歴史地名大系 「佐久間町」の解説

佐久間町
さくまちよう

面積:一六八・五三平方キロ

磐田郡北西部に位置する。東は同郡水窪みさくぼ町・周智しゆうち春野はるの町、西は愛知県北設楽きたしたら東栄とうえい町・同南設楽郡鳳来ほうらい町、南は天竜市・龍山たつやま村、北は水窪町と天竜川・佐久間湖をへだてて愛知県北設楽郡富山とみやま村・豊根とよね村。中央部を北東から南西に向かって中央構造線が貫き、断層谷の連なりをつくっている。その東側には標高一〇〇〇メートルを超す赤石山脈の山々竜頭りゆうとう山・橿かし山・白倉しらくら山があり、西側には矢岳やたけ山がそびえる。長野県より南下した天竜川は佐久間ダムを経て湾曲し、中部なかべ川合かわい地内で大千瀬おおちせ川と合流して北進するが、佐久間を過ぎてしだいに方向を変え、大井おおい戸口とぐち付近で水窪川と合流し再び南下している。幹線道路とJR飯田線は主要河川のあい川・大千瀬川・天竜川・水窪川に沿って町内を南北に縦断している。村域の九割以上を山林が占める。

原始・古代遺跡は十数ヵ所しか知られておらず、そのほとんどは縄文時代の遺跡である。

佐久間町
さくまちよう

[現在地名]近江八幡市佐久間町

池田いけだ町の通りの一筋西(東から一一筋目)の南北路、寺内北町じないきたちよう通最北部に位置する縦町で、両側町。西は孫平治町元まごへいじちようもと、北は八幡堀、南は元玉屋もとたまや町。八幡城下形成時に安土城下佐久間町を移して成立したといわれ、それ以前は小船木こぶなき村に所属する地であったようである(八幡町史)。元禄期(一六八八―一七〇四)以降の畑屋敷高は九石余(「八幡町屋敷畑高覚帳」近江八幡市共有文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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