下平山村(読み)しもひらやまむら

日本歴史地名大系 「下平山村」の解説

下平山村
しもひらやまむら

[現在地名]龍山村下平山

戸倉とくら村の北、天竜川左岸にある。北は上平山村(現佐久間町)。「遠淡海地志」は小地名として大沢・下村しもむら・コイタイラ、ヨバワリ石(呼石)、ヒルサワ(日入沢)をあげる。初め上平山村と一村で、正保(一六四四―四八)以前に上・下に分村したという(遠江国風土記伝)。至徳三年(一三八六)六月二七日の管領斯波義将奉書(富田仙助氏所蔵文書)に「大峰・平山・犬居村地頭職」とみえ、大峰おおみねと同様の経緯で奉公衆横地長連の主張を排し、天野景隆に安堵された。正保郷帳には下平山村とあり永高四貫六〇一文、幕府領。うち寺社領九二〇文。元禄郷帳では高七一石余。旧高旧領取調帳では幕府領六六石余・秋葉寺(現春野町)領四石余・八幡除地七斗余・薬師除地二斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報