ワーナー・ブラザース(英語表記)Warner Brothers

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワーナー・ブラザース」の意味・わかりやすい解説

ワーナー・ブラザース
Warner Brothers

アメリカ合衆国の映画会社。1927年,世界初のトーキー映画を制作した。正式名称 Warner Bros. Inc.。靴の修理業を営むポーランド移民の子,ハリーアルバート,サミュエル,ジャックの 4兄弟が,オハイオ州ペンシルバニア州での映画興行の巡業から事業を立ち上げ,1903年から映画館を買収,その後映画配給事業へと移行した。1913年頃から映画制作に乗り出し,1917年に制作の拠点をカリフォルニア州ハリウッドに移した。1923年,ワーナー・ブラザース・ピクチャース設立。1920年代半ば,三男サミュエルは兄弟の協力を得て,バイタフォンと呼ばれるトーキーシステムを開発。初めて音と映像を完全に同期させた『ドン・ファン』Don Juan(1926)に続き,音楽台詞を同期させた『ジャズ・シンガー』The Jazz Singer(1927)を公開した。その後,初の全編音声つき長編映画『ニューヨークの灯』Lights of New York(1928),全編音声つきカラー映画『エロ大行進曲』On with the Show(1929)を制作。これら初期のトーキー映画で莫大な興行収入を得て,大手映画会社の仲間入りを果たした。以後は低予算ながら優れた技術を駆使した娯楽映画で定評を得,『犯罪王リコ』Little Caesar(1930),『民衆の敵』The Public Enemy(1931),『暗黒街の顔役』Scarface(1932)などでギャング映画ブームを巻き起こし,1930年代を通してジェームズ・キャグニーやエドワード・G.ロビンソンといったスターを主役に起用して成功を収めた。1930年代にはまた,振付師バズビー・バークリー監督による豪華絢爛なミュージカル映画や,エロール・フリン主演の数多くの冒険活劇映画,ポール・ムニ,ベティ・デービス,ハンフリー・ボガートらスターを起用したドラマ作品も制作した。1940~50年代の作品では,『マルタの鷹』The Maltese Falcon(1941),『カサブランカ』Casablanca(1942),『欲望という名の電車』A Streetcar Named Desire(1951)などが有名。その後興行的に成功した作品には,『マイ・フェア・レディ』My Fair Lady(1964),『俺たちに明日はない』Bonnie and Clyde(1967),『エクソシスト』The Exorcist(1973),『カラーパープル』The Color Purple(1985),『逃亡者』The Fugitive(1993)などがある。1970年代にテレビ番組制作,出版,音楽へと事業を拡大。1969年,ワーナー・コミュニケーションズの子会社ワーナー・ブラザースとなり,1989年にはワーナー・コミュニケーションズがタイムと合併して,世界最大のメディア娯楽企業タイム・ワーナーが発足した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワーナー・ブラザース」の意味・わかりやすい解説

ワーナー・ブラザース
わーなーぶらざーす
Warner Brothers

アメリカの映画会社。正式にはWarner Bros. Entertainment. Inc.略称WB。1923年、ワーナー四兄弟により製作会社として設立され(彼らの撮影所の開設年1918年を起源とする説もある)、1925年に配給機構、1928年に劇場チェーンを買収して有力会社へと発展。一方、1926年、ウェスタン・エレクトリックとともにバイタフォン社を設立し、サウンド映画(絵とディスクを連動させる形式のもの)を開発する。このバイタフォン方式による『ジャズ・シンガー』(1927)の成功により、同社のアメリカ映画産業での地位が確立された。1930年代初頭は、ギャング映画、バスビー・バークレーBusby Berkeley(1895―1976)振付のミュージカル映画、『仮面の米国』(1932)のような社会の暗部を告発する映画で知られ、1930年代なかばからは、ルイ・パスツール、エミール・ゾラなどを主人公とした伝記映画が好評を博した。1940年代には、ハンフリー・ボガートがヒーローとして活躍。先輩格のジェームズ・キャグニー、エドワード・G・ロビンソンEdward G. Robinson(1893―1973)も幅広い役をこなし、エロール・フリンErrol Flynn(1909―1959)の主演作もドル箱となった。劇場部門切り離し後は、独立のプロデューサーと提携するなど、会社としてのカラーは薄まったが、1950年代後半からはテレビ番組の製作にも力を注いだ。1967年、テレビに映画の旧作を配給するセヴン・アーツに買収され、さらに1969年、コングロマリットのキニー・ナショナル・サービス(1972年ワーナーコミュニケーションズに改称)が新オーナーとなった。1989年に出版社タイムと合併し、タイム・ワーナーという巨大メディア会社となった。

[濱口幸一]

その後の動き

タイム・ワーナーは2001年にインターネット接続サービスのAOLと合併して、AOLタイム・ワーナーとなったが、AOL部門の業績悪化に伴い2003年に社名をタイム・ワーナーに戻した。その後、AOL事業や雑誌出版事業などを分離し映像ビジネスに特化したが、2016年、大手通信会社AT&Tに買収され、2018年、社名をワーナー・メディアWarner Media, LLCに変更した。

[編集部 2018年12月13日]

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