ローマ(都市)(読み)ローマ

百科事典マイペディア 「ローマ(都市)」の意味・わかりやすい解説

ローマ(都市)【ローマ】

イタリアの首都。同国中央部,ティレニア海岸から約25kmにあり,テベレ川両岸に位置する。七つの丘を中心に発達し城壁に囲まれた古代ローマ以来の長い歴史をもち,〈永遠の都〉と呼ばれる。典型的な地中海式気候に恵まれる。イタリアの政治・文化の中心で,市域内にバチカン市国がある。古代ローマ時代のフォルム・ロマヌムコロセウムカラカラ浴場などの遺跡のほか,サンタンジェロ城(6世紀),パラッツォ・ファルネーゼ(16世紀),サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂サン・ピエトロ大聖堂(バチカン)などの建築物があり,ローマ大学(1300年創立),カトリック系の諸大学,ボルゲーゼ美術館など教育・文化施設も多い(歴史地区は1980年と1990年世界文化遺産に登録)。基本的には第3次産業(主として観光業)の都市で工業はあまり盛んではないが,印刷・出版,映画産業,食品加工,繊維工業などがある。旧市街の南方にある計画都市エウル地区は現在官庁街となっており,南西郊ティレニア海岸のフィウミチーノにレオナルド・ダ・ビンチ国際空港がある。 古代ローマ帝国の首都として人口100万人を擁して繁栄したが,330年コンスタンティノープルに帝国東方の首都の座をゆずり,西ローマ帝国滅亡(476年)後はゲルマン諸族の侵入によって破壊され教皇の町になっていく。中世ローマ教皇権威が増すとともに,教皇領の首都としての地位が確立,教皇が行政をも支配するようになった。15世紀から16世紀前半にかけてのルネサンス期にローマは飛躍的に発展する。17世紀に入ると政治の中心が西ヨーロッパに移り,ローマは巡礼地としての性格が強まる。1798年フランス軍の圧力の下にローマ共和国が成立したが,ナポレオンの没落後教皇の支配が復活。1861年のイタリア統一後も教皇はローマとその周辺を支配しつづけたが,1870年にローマはイタリア王国軍に占領され,1871年にはイタリア王国の首都となった。ローマの支配をめぐるイタリア政府と教皇との争いは1929年のラテラノ協定締結,バチカン市国の成立によって落着した。261万7175人(2011)。(図)
→関連項目イタリア真実の口トレビの泉ラチオ[州]ローマオリンピック(1960年)

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