日本大百科全書(ニッポニカ) 「浴場」の意味・わかりやすい解説
浴場
よくじょう
湯・水に浴する設備または場所のことで、風呂場(ふろば)、浴室などともいう。一般家庭の浴室と公衆浴場、温泉浴場などがあり、洋風と和風とに大別され、洋風では浴室に便器を置くことが多く、バスルームbathroomは便所の意味にも用いられる。
浴場は普通、衛生的理由から身体を清潔にするために設けられるが、療養あるいは宗教的行事のためのものもあり、川や湖、海などを利用した沐浴(もくよく)は古くから行われ、インドのガンジス川における宗教的沐浴は広く知られる。古代ギリシアでは冷水浴がもっぱらであったが、ローマ時代には温水浴になり、帝政時代にネロ、ティトス、カラカラなどの皇帝が建設した公共の大浴場は、更衣室、熱浴室、温浴室、冷浴室のほか、舞踏室や図書室などを備え、壮麗無比で豪奢(ごうしゃ)を誇った。帝政末期には男女混浴の淫蕩(いんとう)の場と化し、800に余る小浴場は娼家(しょうか)と変わるところがなかった。一方、騎士の叙任式や出陣のときには入浴して身を清めるのが例で、この風習はローマ滅亡後も受け継がれ、一生の大事とか祝い事などの場合には入浴するのが普通であった。ドイツ地方では結婚式に客を風呂に接待して飲食し、引出物に高価な入浴具を贈るなど費用の負担が増大したので政府が禁令を出すほどであった。イギリスでは地質・地形の関係で水くみの作業にかなりの労力を要したところから、入浴の風習がきわめて少なく、14世紀末、ヘンリー4世が入浴令を出すなどということもあった。ヨーロッパに香水が発達したのは、入浴の風習が少なく、体臭を消すことが要因の一つといわれる。
日本の浴場では、奈良時代の大寺院に湯屋または浴堂、温堂とよばれる建物があり、僧侶(そうりょ)が穢(けが)れを清める禊(みそぎ)に用いたが、入浴作法には厳しい掟(おきて)のあったことが伝えられている。この湯屋は一般大衆にも開放され、施浴として光明(こうみょう)皇后が病人の体を洗い清めたことが伝えられているが、施浴の習慣は日本人に入浴愛好の気風を生む原因の一つとなった。温泉も多く、『続日本紀(しょくにほんぎ)』『風土記(ふどき)』などに各地の温泉の名がみられるが、蒸気浴も古くからあり、瀬戸内海沿岸の一部では現在も行われている。香川県さぬき市長尾の石風呂は、岩をくりぬいてつくった室(むろ)で火をたいて石を熱し、海水を浸した莚(むしろ)を敷いて、蒸発する湯気の中に身を横たえるもので、奈良時代の僧行基の開設によるものと伝えられ、風呂の語は室の転化したものといわれる。1591年(天正19)には江戸に銭湯が生まれ、各町々に設けられて現在の公衆浴場の基をつくった。
[佐藤農人]