ヨルゲンセン(英語表記)Jørgensen, Anker Henrik

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヨルゲンセン」の意味・わかりやすい解説

ヨルゲンセン
Jørgensen, Anker Henrik

[生]1922.7.13. コペンハーゲン
[没]2016.3.20. コペンハーゲン?
デンマークの政治家。首相在任 1972~73,1975~82),社会民主党党首(在任 1972~87)。労働者階級出身。4歳で両親を失い,早くから働き始めた。1936~50年,造船所や倉庫で働く。1950年代初めにデンマーク一般労働者組合に入り,1958~62年倉庫労働組合委員長,1968~72年デンマーク一般労働者組合委員長を務めた。1964年に社会民主党から国会議員に当選,労働関連問題に傾注。1972年,デンマークのヨーロッパ共同体 EC加盟承認の国民投票を行なったイェンス・オットー・クラーグが首相を辞任すると,ヨルゲンセンは閣僚経験のないまま後継者としてクラーグに指名され,首相に就任。在任中はその出自に忠実であり続け,労働者階級の居住地区から首相官邸への転居を拒否し,冷戦下ではデンマークの中立維持を模索した。1973年の総選挙で社会民主党は政権を失ったが,1975年に少数与党ながら首相に返り咲いた。1982年予算争議のさなかに首相を辞任。1994年政界から引退。おもな著作に "Fra Christianshavn til Christiansborg: erindringer 1922-1972"(1994)など,日記回顧録がある。

ヨルゲンセン
Jørgensen, Jens Johannes

[生]1866.11.6. スベンボル
[没]1956.5.29. スベンボル
デンマークの詩人フューン島の信心深い家に生れたが,コペンハーゲン大学に学ぶうち急進思想に触れ,異端の詩人として出発。しかし,ニーチェやベルレーヌ,ボードレールらの影響下に詩誌『塔』 Taarnet (1893~94) を出して魂の不安を歌う象徴派的な詩風に移り,1896年カトリックに改宗した。聖フランシスコを慕ってイタリアに長く滞在,紀行『巡礼の書』 Pilgrimsbogen (1903) ,評伝アッシジの聖フランシスコ』 Den hellige Frans af Assisi (07) によって全ヨーロッパに知られ,カトリック復興の機運を促した。詩集は数多いが初期の『気分』 Stemninger (1892) ,回心後の『告白』 Bekendelse (94) ,『花と果実』 Blomster og Frugter (1907) ,回想詩集『ここに泉が湧く』 Der er en Brønd,som rinder (20) などがすぐれ,また晩年故郷へ帰ってからの『デンマーク詩集』 Digte i Danmark (43) も戦争への激しい抗議で知られる。ほかに自伝『わが生涯の伝説』 Mit Livs Legende (7巻,16~28) も流麗。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヨルゲンセン」の意味・わかりやすい解説

ヨルゲンセン
よるげんせん
Jens Johannes Jorgensen
(1866―1956)

デンマークの詩人(本国ではヨアウェンセンに近い発音)。コペンハーゲン大学で薬学を学ぶが、ブランデスの急進思想に触れて文学に進む。初め自然主義派の詩人としてたったが、ニーチェ、ボードレールにひかれ、詩誌『塔』に拠(よ)って北欧最初の象徴主義運動をおこす。やがてそれにも飽き足らず、カトリックに帰依(きえ)し、聖フランシスを慕ってのイタリア紀行『巡礼の書』(1903)、評伝『アッシジの聖フランチェスコ』(1907。邦訳名『聖フランシス』)を書き、カトリック詩人として全欧に知られる。日本でも早くから両著の翻訳が刊行されている。詩集は『気分』(1892)、『告白』(1894)、『花と果実』(1907)、『そこに湧(わ)き出る泉がある』(1920)など。自伝に『わが生涯の物語』全7巻(1916~28)がある。

[山室 静]

『山室静訳『ヨルゲンセン詩集』(1981・弥生書房)』『山村静一訳『巡礼の書』(1930・岩波書店)』『久保正夫訳『聖フランシス』(1917・新潮社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例