巡礼(読み)じゅんれい(英語表記)pilgrimage 英語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「巡礼」の意味・わかりやすい解説

巡礼
じゅんれい
pilgrimage 英語
pélerinage フランス語
Pilgerfahrt ドイツ語

日常的な生活空間を一時的に離れ、宗教の聖地・聖域に参詣(さんけい)し、聖なるものにより近接しようとする宗教行動、またはそれを実行する者をいう。

[星野英紀]

巡礼の基本構造

礼は世界の多くの宗教で重要な宗教儀礼となっている。とくにその宗教の信者圏が、特定の地域、文化領域を越えて遠方に広がっている宗教において、巡礼はとりわけたいせつなものと思われている。それゆえ、巡礼は未開宗教よりも歴史宗教や世界宗教でいっそう盛んである。

 日本語では、巡礼に類似することばとして巡拝とか参詣、参宮などのことばがあるが、これをヨーロッパ語にみると、その語源はラテン語のペレグリーヌスに由来するものが多く、その原義は通過者とか異邦人という意味が基本になっている。

 このラテン語の語源にみられるように、巡礼の根本形態は、遠方の聖地に赴くというところにある。われわれの居住地内にも寺・神社・教会などの礼拝施設は存在するわけであるが、それらに参拝する行為を巡礼とはけっしてよぶことはない。

 それゆえ、巡礼は、居住地である日常空間・俗空間を一時離脱して、非日常空間・聖空間に入り、そこで聖なるものに近接・接触し、その後ふたたびもとの日常空間・俗空間に復帰する行動である、といえる。

[星野英紀]

巡礼の類型

世界各地の多様なる巡礼を、その特色によっていくつかのタイプに分類することができる。

 まず集団型と個人型である。巡礼に出る場合、伝統的には参拝講(こう)、現代風にいえば団体パック旅行のように、集団を組んで聖地に参る型と、個人的な発意によってめいめいが個々に巡礼に出る場合とがある。聖地はほとんどの場合遠隔のへんぴな場所にあるため、とくに交通手段が貧弱な時代には、個人的に参拝することはきわめて困難であった。また巡礼は多くの日数と金銭を必要とするから、長い準備の期間が必要である。これらの理由で集団型巡礼は世界の巡礼できわめて盛んな形態である。大ぜいでにぎやかに行く集団型巡礼と1人で黙々と進む個人型巡礼では、その巡礼体験は大きく異なってくる。

 次に巡礼の目的や巡拝者の資格の範囲から、限定型と開放型がある。イスラムのメッカ巡礼はその実行が聖典コーランに定められているほどで、イスラム信者以外の者の立ち入りは厳格に禁止されている。あるいは日本の比叡山(ひえいざん)で行われている回峰行(かいほうぎょう)は、何十キロメートルもの山野を行く道程に散在する聖所を1日で巡拝して歩く荒行(あらぎょう)で有名であるが、これは天台宗の僧侶(そうりょ)資格がある者にのみ許可される巡礼である。このように目的がきわめて明確でその参加資格が限定された巡礼に対して、信者であれ観光客であれ、とくに巡拝者の資格やその目的を限定しない巡礼もある。日本の場合でいえば、四国遍路(へんろ)などがその代表例である。

 ついで巡礼の形式から、円周型と直線型がある。円周型は四国遍路や西国(さいごく)三十三所観音巡礼に代表されるように、数多くの聖所を次々と巡拝していくもので、その軌跡が円を描く形になるものである。あるいはたとえ円を描かなくとも、複数の聖地を順次巡る経(へ)巡り型もこのタイプに含めることができる。これに対して、巡礼対象が1か所である巡礼を直線型という。日本では伊勢(いせ)参宮などがその典型例である。キリスト教やイスラム教などを中心にした中近東からヨーロッパの宗教伝統の巡礼は、後者の直線型である。これに対して、仏教はもちろんのことインドのヒンドゥー教など東洋宗教には円周型、経巡り型がしばしばみられるため、これを東洋宗教に特徴的な巡礼類型とする見方もある。

 以上のほかに、巡礼のもつ雰囲気から、静寂(修行)型と激奮(祭り)型などの類型も考えられる。

[星野英紀]

キリスト教の巡礼

キリスト教においては、とくに中世ヨーロッパにおいて、巡礼は大いに盛況をみた。その時代、三大巡礼地としてエルサレム、ローマ、そしてスペインのサンティアゴ・デ・コンポステラがあったが、それ以外にヨーロッパ全土にわたって中小の巡礼地が何百と散在し、大いなるにぎわいをみせていた。その信仰の中心は、巡礼地に祀(まつ)られている聖遺物(聖者の遺骸(いがい)の一部、あるいはその持ち物)への呪力(じゅりょく)崇拝であった。宗教改革後、プロテスタントは巡礼に冷淡な態度をとるが、カトリックにはその後もマリア出現の奇跡を中心に新しい巡礼地が現在に至るまで生まれている。フランスのルルド、ポルトガルのファーティマなどがその代表例である。また中南米のカトリックでもメキシコのグアダルーペ・イダルゴやチャルマ、アンデス山系のコパカバーナ、コイヨールリティなど数多くの巡礼地がある。

[星野英紀]

イスラムの巡礼

イスラムを代表するものは前述のメッカ巡礼である。コーランには信者の五つの義務の一つとして巡礼が定められており、とくにイスラム暦の巡礼月に毎年行われるハッジ(大巡礼)は、100万人以上のイスラム教徒が世界各地から集合する、イスラム世界最大の祭りでもある。イスラムにはこのハッジ以外に、各地にある聖者廟(びょう)に参詣するズィヤーラトがある。この聖者廟はイスラム圏の各地にあり、その信者圏の広がりもまたさまざまである。かつてのように交通手段が貧弱な場合、あまりにも遠いメッカ巡礼が不可能な場合、有名な聖者廟へのズィヤーラトがその代用的な機能を果たしていた場合もあるらしい。現在でもこの聖者廟参詣はきわめて盛んであり、人間の身近な欲求を聞き入れる現世利益(げんぜりやく)の巡礼地としてイスラム教徒に親しまれている。

[星野英紀]

仏教の巡礼地

インド仏教においてまず巡礼地となったのは仏陀(ぶっだ)ゆかりの聖地を経巡ることで、四大聖地巡礼あるいは八大聖地巡礼といわれるものである。その後、仏教が各地に伝播(でんぱ)していくにつれ、それぞれの地に仏教聖地が誕生することになった。スリランカのキャンディの仏歯寺、中国の四大仏教聖地など枚挙にいとまがない。日本においても四国遍路や西国巡礼はいうに及ばず、京都や奈良の古寺をはじめとして、各地の名刹(めいさつ)はいずれも巡礼地と考えることもできる。

 以上のほかにも、インドのヒンドゥー教も巡礼のきわめて盛んな宗教であるし、伊勢参宮に代表される日本の神道(しんとう)にも、また巡礼は多くみられる。

[星野英紀]

巡礼の社会的・文化的役割

巡礼の歴史をたどってみると、それはかならず当時の商業路と密接に結び付いていることがわかる。メッカは、イスラムの聖地になる以前から砂漠のオアシス都市として商業都市であったし、中国の仏僧たちがインドへ求法(ぐほう)のため通った道は、いわゆるシルク・ロードであり、文字どおり商業路であった。また、巡礼が可能になるためには、道路の整備はもちろんのこと、宿泊設備の完備、沿道治安の安定など、さまざまな社会経済的諸条件が関連していたのである。もちろん巡礼する側の人々の社会経済的条件の向上もまた不可欠であった。

 巡礼者は、また文化や情報の伝播者でもあった。四国には遠方からの遍路が伝授していったという漢方的な治療法とかお灸(きゅう)といったものがいまにまで伝えられているし、中世ヨーロッパの巡礼路網がロマネスク芸術様式の伝播に大きく寄与したことはよく知られている。

 このように巡礼は、単に宗教儀礼というだけでなく、広く社会経済的・文化的影響力をもつものであるから、さまざまな角度から考察することが肝要である。

[星野英紀]

『新城常三著『新稿・社寺参詣の社会経済史的研究』(1982・塙書房)』『星野英紀著『巡礼』(講談社現代新書)』『中村元他監修、柳宗玄編『世界の聖域』12巻・別巻2巻(1982・講談社)』『田中博著『巡礼地の世界』(1983・古今書院)』『青木保著『御岳巡礼』(1985・筑摩書房)』

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百科事典マイペディア 「巡礼」の意味・わかりやすい解説

巡礼【じゅんれい】

宗教上の目的から聖地,霊場などに赴く旅行。英語ではpilgrimage。誓願の成就,恩寵(おんちょう)への感謝・祈願,懺悔(ざんげ),贖罪(しょくざい)などの意味をもつ。仏教のボードガヤー,イスラムのメッカ,ユダヤ教・キリスト教のエルサレム,キリスト教のサンチアゴ・デ・コンポステラが代表的な聖地として有名。ことにイスラム教徒のメッカ巡礼は,五柱(教徒の義務)の一つとされる。古蹟に限らず,フランスのルルド(19世紀後半)のように,突如霊場化するものもある。日本では順礼・遍路・廻国も巡礼と同義に使われるが,順礼とは厳密には観音霊場の巡拝をさす。ことに西国(さいごく)三十三所の巡礼が有名で,坂東・秩父などにも三十三所の観音霊場がある。四国八十八ヵ所の巡礼は空海の遺跡に因(ちな)むもので,白衣・菅笠(すげがさ)・金剛杖・法鈴を持った服装で巡拝する(遍路)。ほかに,浄土宗の二十五ヵ所,真宗の二十四輩巡拝,千社参りなど各宗派,民間信仰により,さまざまの巡礼がある。
→関連項目コンク聖堂周辺人聖地ハッジュ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「巡礼」の意味・わかりやすい解説

巡礼
じゅんれい

順礼とも書く。神聖な場所,寺院などをめぐって巡拝すること。宗教上の行為の一つの型としては,宇宙の創造の起った場所,すなわち宇宙の中心の象徴化としての聖地への回帰である。聖地に到達することによって,人は俗から聖へ,死から生へというように,古い身分として死に新たな身分として再生できるとする宗教的感情を背景としている。キリスト教にエルサレムへの巡礼,イスラム教にメッカへの巡礼があるように,ヒンドゥー教にもワーラーナシ (ベナレス) などの聖地への巡礼がある。仏教でも,たとえばゴータマ・ブッダの生涯に関係の深い土地を巡拝し,また中国の五台山などへの巡礼,日本の西国三十三所四国八十八ヵ所の巡礼など,その種類もきわめて多い。日本では時代が下るにつれて,巡礼そのものが娯楽性を帯びるようになり,それに伴って俗謡遊戯なども生れた。

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デジタル大辞泉 「巡礼」の意味・読み・例文・類語

じゅん‐れい【巡礼/順礼】

[名](スル)聖地や霊場を巡拝する旅によって、信仰を深め、特別の恩寵おんちょうにあずかろうとすること。また、その人。イスラム教徒のメッカ巡礼、ユダヤ教徒・キリスト教徒のエルサレム巡礼、日本の四国八十八箇所西国三十三所札所ふだしょ巡りなど。「白装束で―するお遍路さん」

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世界大百科事典 第2版 「巡礼」の意味・わかりやすい解説

じゅんれい【巡礼】

聖地や霊場を順に参拝して信仰を深め,心身のよみがえりと新生の体験また利益(りやく)を得るための宗教行為。参拝場所は宗教の発祥地,本山の所在地,聖者や聖人の居住地や墓,奇跡や霊験を伝える場所などであり,それらを順拝することを通して祈願の成就と贖罪(しよくざい)や滅罪の効果を期待する。巡礼の旅に出るときは,精進潔斎(しようじんけつさい)して禁欲を保ち,巡礼姿と呼ばれる特定の服装をする。しかし一般には,巡礼の往路は修行と受難のコースを象徴するのに対して,帰路慰安と観光の旅に移行する場合が多い。

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普及版 字通 「巡礼」の読み・字形・画数・意味

【巡礼】じゆんれい

諸寺に参詣する。

字通「巡」の項目を見る

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知恵蔵 「巡礼」の解説

巡礼

ハッジ」のページをご覧ください。

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世界大百科事典内の巡礼の言及

【インド】より

…中層民・下層民は,都市においてもこうして出身地域の人間とその生活様式の中で暮らす傾向が強いが,実業家,高級官僚,専門職などの上層民は,各自の出身地域の文化と生活様式だけでなく,英語を使って西欧化した生活を取り入れながら,出身地域の枠を超えた交際をする。 コミュニケーションの手段には,ラジオ,新聞・雑誌,映画,テレビなどの近代的なものと,それらにいくぶん依存しながらも別の体系をなす,〈口コミ〉(口頭によるコミュニケーション)や巡礼といった旧来のものがある。ラジオは電池式の比較的安価な受信機が普及したため,電気の供給のない(あっても安定しない)村落でも広く聴取されている。…

【観音】より

…すでに10世紀末,石山・清水・鞍馬・長谷・壺坂・粉河などの観音寺院が広くその名を知られたが,11~12世紀になると,仏教の世俗化に反発して教団を離脱した念仏聖の別所などを中心に,新しい観音霊場も各地に多数形成された。これら霊場には,念仏聖の講会に結縁し本尊観音の現当二世の利益にあずかろうとする信者が集い,さらに各霊場を結ぶ修験的な聖の巡礼も始まって,いわゆる三十三所巡礼へと発展するのである。西国三十三所巡礼の創始者を10世紀の花山法皇に擬する伝承があるが,これはまったく信ずるに足りない。…

【十字軍】より

クレルモン会議(1095)で教皇ウルバヌス2世により宣言された第1回十字軍以来,チュニスで敗退した最終回(1270)まで何回かにわたって西欧キリスト教徒の軍団が行った中近東各地への軍事遠征。広義にはイベリア半島,イタリア,地中海の島々などをイスラムの支配下から解放する11世紀後半からの戦いや,公式遠征に数えられていない自発的民衆巡礼団の軍事行動および中近東の十字軍国家を起点とする近隣諸地域への進出行為などの総称とされ,13世紀末以降16世紀にまで続けられたキリスト教諸国民とオスマン帝国を中心とするイスラム諸勢力との戦い(1389年のコソボの戦,1526年のモハーチの戦など)をも十字軍の名でよぶ見方もある。
【起源――十字軍運動】
 ヨーロッパのほぼ全域を渦中にまきこみ,数世紀にわたって持続した東方進出の気運は,その根元に社会経済的要因と精神的動機をもっている。…

【接待宿】より

…旅の巡礼や修行僧に一般庶民が提供する宿。原則として無料で一夜かぎりだが,年末から年始にかけては年宿といって数日から1ヵ月にわたることもあった。…

【旅】より

…旅の行先がそういう点で,日常的所用とのつながりを断った,無用の彼岸であるとき,よりいっそう効果を強める。聖地が旅の対象となった巡礼は,まさにこの種の旅の社会的装置化であり,逆に聖地巡礼という旅の形式が存在する理由は,こういう旅の性格を考えるとき,もっともに思えてくる。また放浪の旅人が,遊行者として聖なる眼で見られるのも,所用にみちた日常的関係世界に対する反世界に生きる人だからだろう。…

【ナツメヤシ】より

…また,受難を前にしたキリストがエルサレムに入城したとき,民衆がヤシの葉を道に敷いて彼を迎えた故事から,英語では復活祭直前の日曜日を〈パーム・サンデーPalm Sunday(枝の主日)〉と称し,この日にはヤシの小枝(じつは葉)を手に持つことになっている。中世には聖地巡礼の記念にヤシの葉や枝を持ち帰る風習が生じ,ここから巡礼者は英語でpalmer(〈ヤシを持つ人〉の意)と呼ばれるようになった。なお,これらキリスト教の伝説や行事に出てくるヤシ類を日本では〈シュロ〉と訳しているが,正しくはナツメヤシである。…

【年中行事】より

…【高橋 明】
[イスラム]
 イスラム教徒は,神への信仰を日常の行動のなかで具体的に表現することが求められ,イスラムはその意味で生活規範であり,イスラム教徒の行事は深くこれと結びついている。なかでも信徒の義務として五柱に挙げられている礼拝,断食,巡礼は,最も重要な行事であり,これらの行事を通じてイスラム共同体(ウンマ)の存在が確認される。たとえば,礼拝は各自1日5回これを行うことが定められているほか,毎週金曜日の正午には,町や村の中心となるモスク(ジャーミー)に集まり,イマームの指導のもとに集団礼拝を行う(この日はイスラム教徒の休日にあたる)。…

【納札】より

…巡礼者が霊場に参拝したしるしに納める札のこと。納め札,巡礼札ともいう。…

【もてなし】より

…すでに451年にカルケドン公会議は司教たちに貧者と病人を助けるよう指示し,カール大帝の勅令も困窮した旅人と病人のために教会が施設をもつべきことを命じている。ケルト人地域以外でも各地方の主要道路沿いに修道院は,巡礼その他の旅人の宿泊施設xenodochium,病人の収容施設nosocomiumをもった。巡礼はその疲労のためにも発病したが,また病気のゆえに巡礼に出た(とくに癩患者)。…

※「巡礼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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