メティス(英語表記)métis

デジタル大辞泉 「メティス」の意味・読み・例文・類語

メティス(Metis)

木星の第16衛星。すべての衛星のうちで最も木星に近い、輪の中の軌道を回る。1979年にボイジャー1号が撮影した写真から発見された。名の由来はギリシャ神話ゼウスの最初の妻。非球形で平均直径は約40キロ。

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改訂新版 世界大百科事典 「メティス」の意味・わかりやすい解説

メティス
métis

カナダにおいて混血の人々,とくにフランス人とクリー族,オジブワ族インディアンとの間に生まれた人々を称する語。フランス語を話し,カトリックを奉じ,バイソン狩りを生業とした。スコットランド人とインディアンの混血を含める場合もあるが,かれらは農業を生業とする者が多かった。カナダ史においてメティスは毛皮交易の重要な担い手として登場するが,1816年にはハドソン湾会社系のレッド・リバー植民地を攻撃した兵力として,北西会社に使われた。西部カナダにおける開拓の進展とともにメティスはより西方へ追われ,69年から70年にかけてレッド・リバーで,84年から85年にかけて当時のノースウェスト・テリトリーズのサスカチェワン地方で,自分たちの権利擁護を求めてカナダ政府に交渉し,後者では武力衝突を生じている。有名なメティスにはL.リエルリエルの盟友G.デュモン,のちにマニトバ州首相となったスコットランド系のJ.ノルケーがいる。インディアンとヨーロッパ系の混血の人々が一つの社会階層を形成したのは,アメリカ合衆国とは異なるカナダ社会の特徴である。
レッド・リバー反乱
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メティス」の意味・わかりやすい解説

メティス
Métis

フランス語で「混血」の意。カナダにおいて先住民とヨーロッパ系の人々の子孫をいう。 19世紀後半のカナダ史において,彼らの存在がクローズアップされた。すなわち,1869年マニトバ州がカナダの一州として連邦に加わる際,ウィニペグを中心とするレッドリバー植民地のメティスは,自分たちの権利を主張して,L.リエルを指導者に反乱を起した。彼らは主としてスコットランド人と先住民,フランス人と先住民の混血であり,半農半狩猟民族で自分たちと価値観を異にする農業植民地の拡大を恐れた。また指導者リエルに代表されるように,フランス系のメティスはカトリックを捨てまいとしていた。リエルは 85年サスカチュワンで再び反乱の指導者にかつぎ出されたが,このときの参加者はメティスより先住民が多かったとされる。少数民族の意識の高いカナダでは,現在も自分たちをメティスと規定する人々は少くない。

メティス
Mētis

ギリシア神話知恵女神オケアノスの娘 (→オケアニデス ) の一人で,クロノスが腹の中に飲み込んだ兄弟姉妹を吐き出させる薬を与えるなどして,ゼウスの勝利に貢献し,神々の王の最初の妻になった。しかしクロノスとガイアから,もしこの結婚を続ければメティスの産む息子によって王位を奪われると教えられたゼウスは,すでに彼の種により女児を妊娠していたメティスを飲み込み,そのあとこの胎児がゼウスの頭のてっぺんから出生したのが,知恵の女神の資質を母から受継いだアテナで,メティスは以後ゼウスの腹中にいて彼に助言を与え,その世界統治に不可欠の役割を演じ続けているという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「メティス」の意味・わかりやすい解説

メティス
めてぃす
Metis

ギリシア神話の女神で「知恵」の意味。オケアノスとテティスの娘でゼウスの最初の妻。ゼウスは、さまざまに姿を変えて逃れようとするメティスをつかまえて妻としたが、ウラノスとガイアから、彼女は男勝りの女児を生んだのち父をしのぐ男児を生むであろうと預言されたため、彼女を腹の中に飲み込んでしまう。月満ちてプロメテウスがゼウスの頭を斧(おの)で打つと、そこから完全武装をしたアテネが躍り出たが、メティスはゼウスの腹の中にとどまり、彼の知恵となった。

[中務哲郎]

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世界大百科事典(旧版)内のメティスの言及

【カナダ】より

…〈海から海へ〉またがる国家,というのが建国のモットーとして採用されたが,そのためにはオンタリオ州とブリティッシュ・コロンビア植民地の間のハドソン湾会社領有地を獲得しなくてはならない。その譲渡に関する交渉は問題なく進行していったが,事の成行きを知らされなかったレッド・リバー地域の住人,メティスは自分たちの既得権を守ろうと1869年臨時政府を樹立した。L.リエルを首班として連邦政府と交渉し,メティスの主張が大幅に受け入れられて70年マニトバ州が成立する。…

【マニトバ[州]】より

… ルパーツ・ランドの一部とされたこの地方へのヨーロッパ人進出の歴史は古く,1812年にはハドソン湾から南下したスコットランド人たちがレッド・リバー植民地を建設した。ここはハドソン湾会社の駐屯地に糧食を提供する半農半猟の植民地として発展したが,主要な住民はメティスで,イギリス領北アメリカの中では特色ある植民地であった。レッド・リバー反乱を経て1870年5月,第5番目の州としてカナダ自治領に参加した際は,マニトバ法でメティスのもつフランス系文化(言語,宗教)が保護された。…

【マニトバ法】より

…1870年5月のマニトバ州のカナダ自治領参加を制定した法。その原型は1870年1月25日付でレッド・リバー植民地臨時政府がカナダ政府に陳情したメティスの〈権利宣言〉である。これには公務における英仏両語の使用や財政的援助のほか,〈この地域の住民が享受したすべての財産,権利,特権〉の擁護がうたわれたが,これにカトリック教育を認める公立学校(分離学校)制度を加えたものが,マニトバ法となった。…

【レッド・リバー反乱】より

…1869年から70年にかけて,カナダの現ウィニペグ付近で起こったメティスによる反乱。1867年のカナダ自治領政府の成立にともない,ハドソン湾会社が約200年間にわたって領有してきたルパーツ・ランドのカナダへの委譲交渉が開始され,69年12月1日を期して譲渡が成立することになった。…

※「メティス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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