アテネ(英語表記)Athens

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アテネ」の意味・わかりやすい解説

アテネ
Athens

ギリシアの首都。古代ギリシア語ではアテナイ Athēnai,現代ギリシア語文語 (カサレブサ) ではアシネ Athínai,現代ギリシア語口語 (ディモティキ) ではアシナ Athína。アテネはラテン語に由来する言い方。 Athensは英語。バルカン半島南東部,アティキ (古代名アッチカ) 半島にあって,エガレオス (北西) ,パルニス (北) ,ペンデリコン (北東) ,イミトス (東) などの山地に囲まれたアティキ平野に位置し,南西はサロニコス湾に臨む外港ピレエフスに続く。ギリシアの政治,経済,文化の中心地。新石器時代以来人が住んでいたことは考古学的資料により知られるが,初期の歴史は明らかでない。アクロポリスの丘を中心に発展したアテネは,前8世紀頃までにはアッチカ地方のポリスとして成立し,貴族政治が行なわれた。前6世紀には僭主ペイシストラトスとその息子たちのもとに繁栄。同世紀末クレイステネスにより民主制が確立。前5世紀初めペルシア戦争に勝利してギリシアの指導的ポリスとなり,デロス同盟盟主としてペリクレスのもとで古代民主制の最盛期を迎え,古典文化の中心地として数多くの哲学者,科学者,芸術家が輩出。ペロポネソス戦争スパルタに敗れてからしだいに衰え,前 338年カイロネイアの戦いでフィリッポス2世に敗れマケドニア支配下に入った。のちローマ領,ビザンチン領などを経て,1456年オスマン帝国に占領された。その後 400年近くにわたるオスマン帝国領時代には小都市にすぎなくなったが,1833年オスマン帝国支配から解放され,成立したばかりのギリシア王国の首都となってから,再び発展し始めた。第1次世界大戦後,商業,貿易の中心地となり,第2次世界大戦後は工業化も進められ,人口が急増,市域も周辺の平野部に広がっていった。繊維 (綿) ,酒類,陶器,製粉,石鹸,皮革,絨毯などの工場が立地するほか,化学,石油化学工業も行なわれる。主要輸出品はたばこ,ワイン,オリーブ油,干しぶどう,大理石,ボーキサイトなど。ギリシアの文化中心地として,国立アテネ大学 (1837) ,国立工科大学,国立図書館,国立考古学博物館など多数の教育・文化施設がある。市内には古典期に属するパルテノン神殿をはじめ,ローマ時代,ビザンチン時代の遺跡や建築物が数多く保存され,観光業が重要な産業となっている。鉄道,道路により国内のほかヨーロッパ各地と結ばれ,海路,空路により世界各地と直接連絡。ピレエフスおよび周辺地域を含めてアテネ大都市圏を形成している。人口 65万5780(2011),大都市圏 315万8400(2011)。

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百科事典マイペディア 「アテネ」の意味・わかりやすい解説

アテネ

ギリシアの首都。現代ギリシア語で正しくは〈アシーネ〉ないし〈アティーネ〉。古代ギリシア語ではアテナイ。名称はこの町の守護神〈アテナ女神〉にちなむ。同国南部,アッティカ平野の中央にあり,外港ピレウスとともに首都圏を形成。アクロポリスとリュカベットスの両丘に首都機能が集中し,観光の中心ともなっている。王宮,大学(1837年創立),アカデミー(1885年創立),考古学博物館,オリュンピア神殿跡,ハドリアヌス帝凱旋(がいせん)門,ディオニュソス劇場跡などがある。ギリシアの工業の中心で,機械・金属・化学・繊維・食品工業が行われるが,公害・ゴミ・交通渋滞が深刻化している。1896年(第1回),2004年オリンピックの開催地。周辺自治体を含む大アテネの人口316万8036人(2011)。〔歴史〕 アテナイは,前9−前8世紀アッティカの都市国家ポリス)として成立,以後前7世紀まで貴族が支配。前6世紀ソロンの調停,ペイシストラトスの僭主(せんしゅ)政,クレイステネスの改革を経て民主政は進行。ペルシア戦争後はスパルタをしのぐギリシアの中心勢力となり,デロス同盟を結成。前5世紀半ばペリクレスの指導下に民主政治が最も発展,古典文化も最盛期に達した。前5世紀末のペロポネソス戦争に敗れて衰退。前338年カイロネイアの戦の後,マケドニアの支配下に置かれ,次いでローマが支配したが,学都として尊重された。ビザンティン帝国,フランク公国領を経て1456年からオスマン帝国(トルコ)領となり,平凡な村の一つにまで衰退。1687年のベネチア軍の侵入と1821年からのギリシア解放戦争で大被害を受ける。1834年の独立以来首都。
→関連項目アテナアテネオリンピック(1896年)アテネオリンピック(2004年)オリンピックギリシアギリシア(古代)ボイオティア

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旺文社世界史事典 三訂版 「アテネ」の解説

アテネ
Athenai(アテナイ)またはAchina(アティナ)と記される。英語ではAthens

中部ギリシアのアッティカ地方にあったイオニア人の代表的都市国家(ポリス)
民主政ポリスの典型で,ドーリア人のポリス,スパルタとよく対比される。前9世紀ごろ,王政から貴族政に移行してポリスを形成し,前6世紀前半,ソロンの改革からペイシストラトスの僭主政をへて,クレイステネスの改革で重装歩兵民主政治の基礎が確立した。前5世紀,ペルシア戦争に勝利を収めてデロス同盟の盟主となり,ギリシア第一の強国に発展,ペリクレスの下にその直接民主政が確立され,ギリシア文化の最盛期を迎えた。しかし前5世紀後半,ペロポネソス戦争でスパルタに敗れたのち衰え,前4世紀にマケドニアの支配下にはいったが,なお文化の中心で,ローマの属州(プロヴィンキア)となってもこの地位は変わらなかった。3世紀後半および4世紀末に一時ゲルマン人の占領を受けたが,その後はほぼビザンツ(東ローマ)帝国の支配下に組み込まれた。さらに1456年以来約4世紀にわたって,オスマン帝国に占領された。

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デジタル大辞泉 「アテネ」の意味・読み・例文・類語

アテネ(Athina/〈ラテン〉Athenae)

ギリシャ共和国の首都。アッティカ半島の西側にある。前8世紀ごろ都市国家を形成、古代ギリシャ文化の中心地。パルテノン神殿などの古代遺跡が残るアクロポリスは、1987年、世界遺産(文化遺産)に登録された。人口、行政区79万(2001)。アテナイ。

アテネ(Athēnē)

アテナ

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精選版 日本国語大辞典 「アテネ」の意味・読み・例文・類語

アテネ

[一] (Athēnē) ⇒アテナ
[二] (Athenæ) ⇒アテナイ

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世界大百科事典 第2版 「アテネ」の意味・わかりやすい解説

アテネ【Athínai】

ギリシア共和国の首都。人口は1991年現在,アテネ市78万4000,近郊を含む大アテネ310万を数える。古代ギリシア語ではアテナイAthēnai。その都市としての起源は古代にさかのぼり,今日なお往時の遺跡を豊富に残している。古代においては,前8世紀以降,この町を中心に,中部ギリシアの南東端に突き出た半島状のアッティカ地方全体を領域として,都市国家すなわちポリスが形成され,前2世紀,ローマの支配に服するまで独立の国家としての存立を保った。

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