ポリテクニク(総合工芸学校)

大学事典 の解説

ポリテクニク(総合工芸学校)

啓蒙時代の産物であるポリテクニクは,伝統的な大学に代わりうる高等教育モデルである。17世紀には数学と実験との結合によって近代科学原型が確立し,18世紀にはフランスを中心に,応用科学による世界の体系的な変革が提唱された。1794年,高度な理学の共通基盤の上に,多様な技芸の訓練を目指したエコール・ポリテクニークがフランスに誕生した。類似の機関は西欧世界に拡散したが,既存の大学からの抵抗は強力であった。カリフォルニア工科大学やMIT,スイスのチューリヒ工科大学等の少数のポリテクニクは,大学制度に譲歩しつつ世界で最高度の「大学」にのし上がった。他方,大多数のポリテクニクは「技術屋」養成機関として,大学より格下に甘んじた。現在,世界の各地で,ポリテクニクの大学への昇格の運動と同時に,そうした運動への批判も起こりつつある。
著者: 立川明

イギリス

1960年代のイギリスでは,急激に拡大した高等教育人口を収容する受け皿として,政府の管轄の下に非大学型のポリテクニクが開校された。学位授与権を持たず,工学分野での職業教育を中心とした機関であり,1966年の白書『ポリテクニクとカレッジのための計画』『A Plan for Polytechnics and Other Colleges』の勧告にもとづき28校(のち30校)が設立された(Dept. of Education and Science,1966)。これらポリテクニクは31のLEA(地方教育当局(イギリス))の管轄下にあった50以上の既存の工科カレッジと教育カレッジが統合されたもので,1973年には15万人の学生を有することになった。大学は基礎研究を含みつつその伝統的・学問的役割を堅持する独立自治法人であるが,ポリテクニクはLEAの管理下に置かれ,職業訓練や職業関連科目をパートタイム・コースやサンドイッチ・コース,准学位コースで提供することが期待された。大学の場合,約90%がフルタイム学生である一方,ポリテクニクは半数がパートタイム学生であった。1992年以降は学位を授与する大学へ一律に昇格し,その大多数の名称から「Polytechnic」の語が消滅した。
著者: 秦由美子

参考文献: 中山茂「産業時代の科学」,広重徹編『科学史のすすめ』筑摩書房,1970.

参考文献: James E. McClellan III & Harold Dorn, Science and Technology in World History, The Johns Hopkins University Press, 2006.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報