ベラサグン(読み)べらさぐん(英語表記)Balāsāghūn

デジタル大辞泉 「ベラサグン」の意味・読み・例文・類語

ベラサグン(Balasagun)

中央アジアのチュー川上流域にあった都市。現在のキルギス共和国北部の町トクマク付近。10世紀から13世紀にかけて、カルルクカラハン朝カラキタイ西遼)の中心都市となり、耶律大石時代に都が置かれた。13世紀にモンゴル帝国に支配され、14世紀中に衰退した。11世紀初頭に建造された尖塔ブラナの塔が現在も残っている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベラサグン」の意味・わかりやすい解説

ベラサグン
Balasaghun

中世中央アジアの都市。 10世紀初め,カラハン朝のサトゥク・ボグラ・ハンがこの地を首都と定め,1130年頃耶律大石 (→徳宗) が占領して西遼 (カラ・キタイ) 国を建設した。これ以後はグズオルドと呼ばれることが多い。 1210年ホラズム・シャーに占領され,その際約4万の住民が殺された。その後 18年モンゴル軍の攻撃を受け,無条件で降伏,モンゴル時代には次第に衰え,チムール (帖木児)の時代には記録に現れてこない。その正確な位置はわからないが,チュー川流域にあったと思われる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベラサグン」の意味・わかりやすい解説

ベラサグン
べらさぐん
Balāsāghūn

中央アジアのチュー川上流域にあったカラ・ハン朝、カラ・キタイ(西遼(せいりょう))の都。現在のキルギス共和国トクマク付近。ソグド人によって建設され、9世紀の賈耽(こたん)は裴羅将軍城と漢字表記している。トルコ語で書かれた最初の詩作品『クタドク・ビリク』(1069/70完成)の作者ユースフの生地である。1130年ころ耶律大石(やりつたいせき)が西遼を建てたのちは、グズオルド(虎思斡児朶)とよばれることが多い。1218年にチンギス・ハン支配下に入り、14世紀中に戦乱のため破壊されて廃墟(はいきょ)となった。

堀川 徹]

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旺文社世界史事典 三訂版 「ベラサグン」の解説

ベラサグン
Balasaghun

トルキスタンのチュー川流域,現在のトクマク付近にあった西遼の都
天山北路第一の要地で,唐代から突厥 (とつけつ) の根拠地として栄え,カラ−ハン朝が都を置いた。金に追われた遼の耶律大石 (やりつたいせき) が,1133年この地に都してフスオルダと呼んだ。

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