日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘンリー(3世)」の意味・わかりやすい解説
ヘンリー(3世)
へんりー
Henry Ⅲ
(1207―1272)
プランタジネット朝のイギリス王(在位1216~72)。父王ジョンの死により9歳で即位したので、摂政評議会が設置され、有力諸侯が統治の実権を握った。王の親政は1234年に始まるが、母方と王妃の縁でフランス人の側近を寵愛(ちょうあい)したので貴族との衝突が絶えなかった。58年、王は末子エドマンドのためにシチリア王位を確保する目的で教皇インノケンティウス4世と協約を結んだ。しかし、これには貴族の支持がなく、同年、教皇アレクサンデル4世に約束の履行を迫られて窮地に立った王は、諸侯の援助と引き替えに大幅な国政改革案を含む「オックスフォード条項」を締結した。この結果王権は大幅な制限を受けたが、この条項の実施をめぐり諸侯の間に分裂が生じたとき、反国王派の急進的指導者シモン・ド・モンフォールは反乱を起こし、64年「諸侯(バロン)戦争」Barons' War(~65)が勃発(ぼっぱつ)した。王はシモンに捕らえられたが、王子エドワード(後の1世)がシモンを破った(1265)ため復権した。王の治世の後半は行政上の改革が相次ぎ、また議会に代議制が導入されるなど、国制史の面で重要な時期にあたる。
[松垣 裕]