パレスティナ自治区(読み)パレスティナじちく(英語表記)Palestinian Self-Government Areas

改訂新版 世界大百科事典 「パレスティナ自治区」の意味・わかりやすい解説

パレスティナ自治区 (パレスティナじちく)
Palestinian Self-Government Areas

ヨンダン川西岸地区5655km2(以下,西岸と表記)およびガザ地区365km2の地域で,人口は西岸が250万人,ガザ地区が160万人。イスラエル国内にも150万人のパレスティナ人がいる。なお,国連パレスティナ難民救済事業機関(UNRWA)に登録される難民数は438万人(いずれも2010年)。ガザ地区全域と西岸の約40%で,パレスティナ自治政府が自治を実施している。通貨はイスラエルと同じシュケル。住民の宗教は92%がイスラム教,7%がキリスト教

 1993年9月にワシントンでイスラエルとPLO(パレスティナ開放機構)との間で調印された暫定自治宣言(ノルウェー外相らの仲介で進められたのでオスロ合意,またはオスロⅠともいう)に基づき,ガザ地区,イエリコ周辺で先行自治が開始された。95年9月の暫定自治拡大合意(オスロⅡ)により,96年1月パレスティナ自治政府議長(大統領)選挙と評議会(国会)選挙が行われ,アラファートYāsir ‘Arafātが議長に,評議会もその与党ファタハが圧勝した。イスラエルとの暴力の連鎖が続くなかで和平は停滞し,アラファートは2004年11月死去した。05年1月アッバースMahmoud ‘Abbāsが後継議長になったが,06年1月の評議会選挙で過激派ハマスが単独過半数をとって組閣した。これを受けてイスラエルは態度を硬化させ,08年末にはハマスの支配するガザ地区へ空爆を含む大規模な攻撃を行った。11年5月ファタハとハマスが和解し,挙国一致内閣を作ることで合意した。

 パレスティナは国連に対し11年9月加盟申請したが,加盟は実現していない。しかし,12年11月に国連総会において,オブザーバー組織からオブザーバー国家への格上げ決議案が採択され,国連では国家として扱われることとなった。なお,11年10月にはユネスコにも加盟申請し,こちらは11月正式加盟が認められた。
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