バグリツキー(英語表記)Eduard Georgievich Bagritskii

改訂新版 世界大百科事典 「バグリツキー」の意味・わかりやすい解説

バグリツキー
Eduard Georgievich Bagritskii
生没年:1895-1934

ロシア・ソ連邦の詩人本名はジュビンDzyubin。オデッサにユダヤ人の職人の子として生まれ,測量技術学校在学中から詩を書き始めた。1917年のロシア革命後の国内戦に参加し,パルチザン部隊の一員として戦った。20年にロスタ通信社(現,タス)の〈南部ロスタ〉に加わり,スローガンやポスターのコピーを書いていたが,26年に叙事詩《オパナスの語り唄》を発表,詩人としての地位を確立した。その後も《南西》(1928),《勝利者たち》《最後の夜》(ともに1932)などの詩集刊行,多くの読者を魅了した。その作風は南国的なロマンティシズムの中に,きびしい抒情があふれ,革命期の詩には珍しく芸術的香気にみちており,その早世は惜しまれている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バグリツキー」の意味・わかりやすい解説

バグリツキー
ばぐりつきー
Эдуард Георгиевич Багрицкий/Eduard Georgievich Bagritskiy
(1895―1934)

ソ連の詩人。本姓Дзюбин/Dzyubin。オデッサ(現、オデーサ)のユダヤ人職人の家に生まれる。測量技術学校に学び、1915年から詩を発表。十月革命を迎え1919年からパルチザン部隊に参加。のち「南部ロスタ」通信社に入り、革命的でロマンチックな作品を書き続けた。1925年モスクワに移る。叙事詩『オパナスの唄(うた)』(1926)は、革命戦のなかで悲劇的運命により殺されたウクライナ農民に関する作品で、伝統的「ドゥーマ(語り唄)」と古代ロシアの『イーゴリ遠征物語』の形式を継承発展させたものである。第一詩集『南西』(1928)、第二詩集『勝利者たち』(1932)などには、ネップ(第一次五か年計画)や革命の継承などの歴史的時代がこの詩人独自の情熱共感をもって歌い込まれている。ほかに叙事詩『最後の夜』(1932)などがある。

草鹿外吉

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バグリツキー」の意味・わかりやすい解説

バグリツキー
Bagritskii, Eduard Georgievich

[生]1895.11.3. オデッサ
[没]1934.2.16. モスクワ
ロシア,ソ連の詩人。ユダヤ系職人の家に生れて,測量技術学校在学中から詩作を始め,国内戦には赤軍の遊撃部隊の一員として戦った。 1920年からロスタ通信社の南部ロスタ支部で活動すると同時に,南国的ロマンチシズムと国内戦で鍛えられたボルシェビキ的情熱とが芸術的に溶け合った香り高い抒情詩をつくり,26年に代表作『オパナスの語り歌』 Duma pro Opanasaを発表。 28年に第1詩集『南西』 Yugo-zapad,32年に第2詩集『勝利者たち』 Pobediteli,第3詩集『最後の夜』 Poslednyaya noch'を相次いで出版したが,病のため急逝した。 Y.オレーシャらとともに,いわゆる「オデッサ派」と称されている。

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