ハイデッガー(年譜)
はいでっがーねんぷ
1889 9月26日ドイツ、バーデン・ウュルテンベルク州メスキルヒに生まれる
1909 フライブルク大学神学部に入学、のちに哲学部に移る
1913 学位論文『心理主義における判断論』を提出(翌年出版)
1915 教授資格論文『ドゥンス・スコトゥスのカテゴリー論と意義論』完成(1916年出版)。フライブルク大学講師となり、講義を開始
1923 マールブルク大学教授となる
1927 『存在と時間』前半を『現象学年報』に掲載(後半はついに未完成に終わる)
1928 フッサールの後任としてフライブルク大学に戻る
1929 『カントと形而上学の問題』『形而上学とは何か』『根拠の本質について』
1933 5月、フライブルク大学総長となるが、ナチスとのトラブルで翌年3月辞任
1935 『形而上学入門』講義(1953年出版)
1945 5月、第二次世界大戦終了。占領軍により講壇から追放される
1946 『ヒューマニズムについて』(1947、1949年出版)。ハイデッガーの思索の「転回」が取りざたされるようになる
1950 1935年以降の論文6編からなる『森の道』刊行
1951 退官教授としてフライブルク大学で演習・講義を再開。『ヘルダーリンの詩の解明』(増補第2版)
1952 日本で『ハイデッガー選集』の端緒(大江精志郎訳『形而上学とは何か』他)
1954 『講演論文集』『何が思索を命ずるか』刊行
1956 『哲学――それは何か』『存在への問いに寄せて』『野道』
1957 『同一性と差異』『根拠律』
1959 『放下』『言葉への途上』
1961 『ニーチェ』(全2巻)
1962 『物への問い』
1967 『道標』
1971 『シェリングの論述〈人間的自由の本質について〉』
1975 ハイデッガーの全業績を集録した完全な『ハイデッガー全集』が西ドイツ・クロスターマン書店より刊行開始
1976 5月26日、心臓麻痺にて死亡。メスキルヒの墓地に埋葬される
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例