改訂新版 世界大百科事典 の解説
ニューヨーク・シティ・バレエ団 (ニューヨークシティバレエだん)
New York City Ballet
カーステーンLincoln Kirstein(1907-96)を総支配人とし,G.バランチンを芸術監督とするアメリカのバレエ団。現在の名称になったのは1948年からだが,クラシック・バレエをアメリカに根付かせるため,常設的なバレエ団の創設をカーステーンが考えて,1933年パリからバランチンを招いたのが始まりだった。翌34年1月2人はまずバレエ団をつくる素地としてアメリカン・バレエ学校を開校,翌35年には同校出身者から成る巡業用のアメリカン・バレエ団を創設した。同年秋ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の座付きバレエ団になったが,国際スター指向をきらうバランチンとの見解の相違から,38年同劇場の専属契約を解除した。第2次世界大戦後の46年2人は会員制による非営利のバレエ・ソサエティを結成。48年マンハッタンのニューヨーク・シティ・センターで公演した際,非営利法人の同センターからスポンサーになる話が出て,専属契約を結び,現在の名称となった。アメリカン・バレエ団時代から作曲家のストラビンスキーと緊密な協力関係にあり,《カルタ遊び》(1937),《オルフェウス》(1948),《アゴン》(1957)はバランチンの依嘱曲である。シティ・バレエは19世紀物はほとんど取り上げないが,《くるみ割り人形》のバランチン版は全幕上演する。またJ.ロビンズ振付の《檻(おり)》(1951)も注目を浴びた。団の特色としては音楽を重視し,コール・ド・バレエを中核と考え,スター・システムをとらない。その抽象的で急進的なバレエは世界中でセンセーションをまきおこした。多くのダンサー,振付家を養成し,ダンサーではスーザン・ファーレル,パトリシア・マクブライド,ピーター・マーチンスらが中心。58年初来日。89年,L.カーステーンが引退,ピーター・マーチンスが翌年,芸術監督となった。
執筆者:木村 英二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報