ロビンズ

百科事典マイペディア 「ロビンズ」の意味・わかりやすい解説

ロビンズ

米国舞踊家,振付家。ニューヨーク生れ。バレエチューダーらに,演劇カザンに学ぶ。1940年バレエ・シアター(現アメリカン・バレエ・シアター)に参加,1944年バーンスタイン音楽で《ファンシー・フリー》を振り付け大成功を収める。1949年―1959年バランチンの招きでニューヨーク・シティ・バレエ団の芸術監督補佐を務め,数々の作品を発表。この間ブロードウェーのミュージカルの振付にも進出,《王様と私》(1951年),《ピーター・パン》(1954年),《ウェスト・サイド物語》(1957年)などのヒット作を生み出した。自身のバレエ団〈バレエUSA〉を組織するが長続きせず,1969年ニューヨーク・シティ・バレエ団に復帰,バランチン亡きあとはピーター・マーティンス〔1946-〕とともに芸術監督の座にあったが,1989年引退。おもな作品は《檻》(1951年,ストラビンスキー曲),《牧神の午後》(1953年,ドビュッシー曲),《演奏会(コンサート)》(1956年,ショパン曲),《グラス・ピーシズ》(1983年,フィリップ・グラス曲)など。

ロビンズ

米国の医学者。ハーバード大学医学部小児科教授。エンダーズもとで,ウェラーとともにポリオウイルスの組織培養法を完成し,ワクチン製造を可能にした。前2者とともに1954年ノーベル生理医学賞。
→関連項目エンダーズ

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改訂新版 世界大百科事典 「ロビンズ」の意味・わかりやすい解説

ロビンズ
Jerome Robbins
生没年:1918-98

アメリカの舞踊家,振付師。ニューヨークに生まれ,チューダーらにバレエを学ぶほか,東洋の舞踊や演劇,ピアノなどを習う。1937年俳優としてデビュー,40年〈バレエ・シアター〉に参加。44年L.バーンスタインの音楽でバレエ《ファンシー・フリー》を初めて振付け大成功をおさめた。49-59年,ニューヨーク・シティ・バレエ団(シティ・バレエ)の芸術監督補佐として,ストラビンスキーの音楽による《檻(おり)》(1951),ドビュッシーの音楽による《牧神の午後》(1953)などを振付け,57年にはバーンスタインの音楽によるブロードウェー・ミュージカル《ウェスト・サイド物語》の振付で,世界的な名声を得た。58年と61年のスポレート音楽祭出演のために〈バレエUSA〉を創立したが,長続きせず,69年〈シティ・バレエ〉に復帰した。この間《王様と私》(1951),《屋根の上のバイオリン弾き》(1964)などミュージカルの演出,振付でも数々の成功をおさめた。その振付はモダン・ダンスにジャズ,ショー,社交ダンスの要素,手法を取り入れ,踊り手に高度の技巧を要求する。また作品には鋭いユーモア感覚が示されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロビンズ」の意味・わかりやすい解説

ロビンズ
Robbins, Jerome

[生]1918.10.11. ニューヨーク
[没]1998.7.29. ニューヨーク
アメリカの舞踊家,振付師。 A.チューダー,E.ローリングらに学び,ミュージカルのダンサーなどを経て,1940年バレエ・シアター (現アメリカン・バレエ・シアター ) に入り,『ペトルーシカ』などを踊った。同時に振付師として L.バーンスタインの音楽による『ファンシー・フリー』 (1944) ,『インタープレイ』 (45) などを発表。 49年からニューヨーク・シティー・バレエ団に参加,『檻』 (51) ,『牧神の午後』 (53) などを振付けた。また 58年にはバレエ USA創設,ヨーロッパで人気を得る。一方『ファンシー・フリー』を発展させた『オン・ザ・タウン』 (45) ,『王様と私』 (51) ,『ウエスト・サイド物語』 (57) ,『ジプシー』 (59) ,『屋根の上のバイオリン弾き』 (64) など数々のミュージカルの演出,振付をし世界にその名を知られるようになった。その親しみやすい作風によって,バレエとミュージカルの両分野で 20世紀最もすぐれた振付師の1人といわれている。

ロビンズ
Robbins, Lionel Charles

[生]1898.11.22. ミドルセックス,スイプソン
[没]1984.5.15. ロンドン
イギリスの経済学者。 1930年代のロンドン学派の指導者の一人。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学び,第1次世界大戦に参加後,オックスフォードのニュー・カレッジ講師,29~61年母校教授 (1968~74同校理事長) 。この間戦時内閣経済局長,王立経済学会会長や高等教育委員会委員長,"Financial Times"紙会長,王立歌劇場理事,美術館役員などを歴任し,第2次世界大戦後のイギリスにおける文化,教育面でも貢献。 59年男爵。経済学の希少性定義と A.ピグーの『厚生経済学』批判で著名な『経済学の本質と意義』 An Essay on the Nature and Significance of Economic Science (32) をはじめ『自伝』 Autobiography of an Economist (71) など著書多数。

ロビンズ
Robbins, Frederick Chapman

[生]1916.8.25. アラバマ,オーバーン
[没]2003.8.4. オハイオ,クリーブランド
アメリカの小児科医,ウイルス学者。 1940年ハーバード大学医学部を卒業,ボストンの小児病院で2年を過ごす。 1942年,陸軍に入り,第2次世界大戦中,地中海戦域の第 15医学総合研究所ウイルス・リケッチア部長として,流行性肝炎,発疹チフス,Q熱の研究に従事した。 1948年,小児病院で J.エンダーズ,T.ウェラーとともに研究することになり,当時ウイルスは生きた細胞の中でしか増殖しないといわれていたが,生体と同じ条件にして培養実験をして 1952年に成功。これによって小児麻痺ワクチンの製造や新しいウイルスの単離が可能となった。その功績で 1954年,エンダーズ,ウェラーとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。 1952年からクリーブランド州立総合病院の小児・伝染病科の部長,ケースウェスタンリザーブ大学の小児科教授。

ロビンズ
Robins, Benjamin

[生]1707. イギリス,バス
[没]1751.7.29. インド,マドラス
イギリスの数学者で軍事技術者。 1740年代の多くの実験によって,砲術科学に最初の重要な礎石を置いた。ロンドンで学び,数学の教師をしながら弾道学を研究,ガリレイが発見した弾丸の放物線運動に空気抵抗の理論を加えて修正したニュートン学説を支持する論文を発表,一躍注目された。 1740年弾丸の速度の測定に用いる特殊な弾道振り子を発明,1742年『新砲術原理』 New Principles of Gunneryを発表して,砲術科学に根本的な変革をもたらした。この書はドイツ,フランスで翻訳され,砲兵学校の教科書とされた。のちイギリス東インド会社にその知識と技術をもって招かれたが,マドラス防衛を計画中に熱病で死亡した。

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世界大百科事典(旧版)内のロビンズの言及

【ウェスト・サイド物語】より

…シェークスピアの《ロミオとジュリエット》の物語を,ニューヨークのスラム街に移してミュージカル化した同名のブロードウェーのヒット・プレー(レナード・バーンスタイン作曲,スティーブン・ソンダイム作詞で,1957初演)の映画化。舞台と同じジェローム・ロビンズが振付を担当し,ロバート・ワイズとともに共同監督。ロケーションによるミュージカルはすでに《踊る大紐育》(1949)や《オクラホマ!》(1955)などでも試みられていたが,6週間にわたるニューヨーク・ロケを敢行したこの映画から,〈街中へ出たミュージカル〉の流れが始まる。…

※「ロビンズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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