ゾエ
Zōē
生没年:978-1050
ビザンティン帝国の女帝。在位1042年。父コンスタンティノス8世の死後2度結婚(1028年ロマノス3世,1034年ミハエル4世),後にミハエル4世の甥ミハエル5世の反逆を市民の支持で打ち破り,妹テオドラと共同統治した(1042)。同年コンスタンティノス9世と3度目の結婚をし,夫が即位した後は以前の奔放な生活に終止符を打った。道徳的退廃と文化の爛熟,宮廷革命と後継者争い,国費の乱費と国政の弛緩に象徴されるマケドニア朝(867-1056)時代の代表的人物である。
執筆者:和田 広
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ゾエ
Zōē Porphyrogenētē
[生]978
[没]1050
ビザンチン皇帝 (在位 1042) 。ロマヌス3世の皇妃。コンスタンチヌス8世の娘。父帝に息子がいなかったため,50歳代になってロマヌス3世と結婚,父の死後帝位にあった夫を宦官ヨハネスと謀殺し,その弟のミカエル4世と結婚。4世の死 (41) 後,4世の甥のミカエル5世に修道院に送られたが,首都コンスタンチノープルの住民の支持で復帰,妹のテオドラと共同統治者となった (42) 。次いでコンスタンチヌス9世と3度目の結婚をし3人が共治。その後は信仰に生き,科学の粋を集めた化粧薬をつくらせて使用し,死ぬまで美しさを失わなかったという。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報