セプティミウス・セウェルス(読み)せぷてぃみうすせうぇるす(英語表記)Lucius Septimius Severus

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

セプティミウス・セウェルス
せぷてぃみうすせうぇるす
Lucius Septimius Severus
(145/146―211)

ローマ皇帝(在位193~211)。北アフリカのレプキス・マグナの騎士身分の家系に生まれる。いくつかの官職を経たのち、190年にコンスル、翌年上パンノニア総督となった。ペルティナクス帝が殺害され、ディディウス・ユリアヌス親衛隊から帝位を買ったという情報が伝わると、193年4月カルヌントゥムで軍隊により皇帝推戴(すいたい)され、ローマに進軍、これまでイタリア人により構成されていた親衛隊を解散して、新たにドナウ方面の軍団兵から親衛隊を編成した。東方に軍を進め、シリア方面の軍隊により皇帝に宣言されていたペスケンニウス・ニゲルを破った(194)。さらにブリタニアの軍隊により皇帝に推されてガリアに軍を進めたクロディウス・アルビヌスを197年2月ルグドゥヌム(現在のリヨン)で破った。その後3個軍団を新設して東方に転戦し大きな成果を収め、パルティア王国の首都クテシフォンを略奪し(197)、かつてトラヤヌス帝がなしたようにローマの属州としてメソポタミア州を設立した(199)。その後シリアとエジプトに滞在して202年1月ローマに帰った。208年に后(きさき)ユリア・ドムナおよび2子カラカラとゲタとともにブリタニアに出陣し、211年エブラクム(現在のヨーク)で死去

 彼は、死の床で2人の息子に「仲よくやれ。兵士を富ませよ。他の者は気にするな」と忠告したと伝えられるように、自己の権力の基盤が軍隊にあることをよく認識し、兵役期間中の結婚を許し、兵士の給与や昇進の機会を増すなど彼らの待遇を改善した。元老院権限を大幅に削減する一方、騎士身分を採用して官僚機構を整備するとともに、パピニアヌス、ウルピアヌスらの法学者を顧問として重用した。また、各種の組合を政府の統制下に置き、都市参事会員に徴税責任などを義務づけるなど、統制経済に向けて一歩踏み出した。

[市川雅俊]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

セプティミウス・セウェルス
Lucius Septimius Severus

146?~211(在位193~211)

ローマ皇帝。アフリカの出身。上パンノニア総督となり,193年部下の軍団によって皇帝に推され,帝位をめざす対立者を破り,内乱を平定した。軍隊を権力の支柱として統治を固め,統治機構における皇帝の地位を強化した。その治世は,ローマ帝国の安定から動乱の「三世紀の危機」への転換期にあった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報