シナ・チベット系諸族(読み)しなちべっとけいしょぞく(英語表記)Sino-Tibetan

翻訳|Sino-Tibetan

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シナ・チベット系諸族」の意味・わかりやすい解説

シナ・チベット系諸族
しなちべっとけいしょぞく
Sino-Tibetan

インドシナ系諸族ともいわれ、漢語やタイ諸語、チベットビルマ諸語が同じ系統に属するという仮説のもとに設定された諸言語集団。中国から東南アジア大陸部、チベット、ネパールにかけて広く分布する。一般にはシナ・タイ語派とチベット・ビルマ語派に大別されるが、タイ諸語をリー語などとともにタイ・カダイ語族とし、オーストロアジア語族に関係づけようとする試みもあり、タイ諸語の系統帰属に新たな問題がつけ加えられている。このほか、ミャオ・ヤオ語群やカレン語群をシナ・チベット語族に含めるという立場もある。シナ・チベット語族の分布する地域の地理環境や生態系は複雑である。すなわち、チベット高原から峻険(しゅんけん)な高原・山岳地帯が中国大陸東部、インドシナ半島にかけて続き、その峡谷の間をブラマプトラ、サルウィン、イラワディ、メコン、長江(ちょうこう/チャンチヤン)(揚子江(ようすこう/ヤンツーチヤン))などの大河川が流れ、各地に大小さまざまの河谷盆地や沖積平野を構成する。さらに、これらの河川は海岸部に至りデルタ地域を形成する。このような地理条件のなかで、シナ・チベット系諸族は、それぞれの地方において多様な歴史を繰り広げてきた。そのため、彼らの社会統合の規模や生業形態はさまざまである。

 まず、チベット・ビルマ語派に属する民族には、チベット、チャン、プミ、トールン、ヌー、イ(ロロ)、リス、ナシ、ハニ、ラフ、アチャン、ペー、ジンポーカチン)、ビルマ系諸族、ナガ諸族、チン諸族などがある。彼らの大半はチベット高原およびそれに連なる高原・山岳丘陵地帯に分布し、ヒツジ、ヤク、ヤギなどの飼育や酪農、ムギ栽培などを行っているが、山地斜面での陸稲・雑穀類の焼畑耕作や雛段(ひなだん)耕作、平野部における水稲栽培に従事する民族もある。彼らの民族移動の歴史については不明な点も多いが、その大半は古代の氐(てい)・羌(きょう)の系統に属すると考えられており、北方の遊牧民族との文化史的なつながりのあることが指摘されている。中国西北部およびチベット高原で活動していたのはタングート(党項)、吐蕃(とばん)とよばれたチベット系の遊牧民である。チベット族やチャン族などはその系統を引くといわれているが、吐蕃は7世紀から9世紀にかけて国家体制を整えて強大化し、タングートは11世紀に西夏(せいか)国を建国した。中国西南部の雲貴高原を拠点に活動していたのは烏蛮(うばん)である。烏蛮は今日のイ族やナシ族のもとになった民族であり、羅甸(らでん)国や南詔国を建国するなど、この地域の民族史上に果たした役割は大きい。イ族やナシ族には父子連名制や火葬、シャーマニズム、独特な文字によって書かれた経典類を有するなど共通点がある。ペー族は烏蛮とともに南詔国の主要な構成民族である白蛮の系統を引く民族である。水稲耕作に従事し、仏教や道教が深く浸透している。ビルマ系諸族が初めてビルマの地に移住したのは1世紀ころと推定されるが、ピュー(驃)という名称で知られている。ピューはイラワディ川流域に城砦(じょうさい)国家を形成していたが、9世紀に南詔の攻撃を受けて滅びる。このあとに北方からビルマ系諸族が南下移動してきて定着し、11世紀に至りパガン王国を建国する。このほか、イラワディ川上流から雲南西部にかけての山地にはカチン族、ナガ丘陵にはナガ諸族、チン丘陵にはチン諸族がおり、部族的な首長制社会が構成されていた。

 次にシナ・タイ語派をみると、この語派に属するのは、チワン、プイ、トン、スイ、シャム、ユアン、ラオ、シャン、ルー、カムティ、黒タイ、白タイなどのタイ系諸族および漢民族である。漢民族は中国本土、台湾、東南アジアその他各地に広く分布し、方言の格差や文化の地域的な偏差に富んでいる。タイ系諸族は揚子江以南が原住地であるといわれ、犂耕(りこう)に基づく水稲耕作を行ってきた民族集団である。古来、この地域には閩越(びんえつ)、南越、駱越(らくえつ)、甌越(おうえつ)、滇越(てんえつ)などの百越と総称される民族が分布しており、今日のチワン、プイ、トンなどの広義のタイ系諸族の多くはこの系統を引くものと考えられている。彼らは西暦紀元ころより漢民族の南進を受けて漸次南下移動したが、漢民族と同化・融合したものも多数いたと考えられる。また、雲南周辺のタイ系諸族は7、8世紀以降、メコン、イラワディ、サルウィンなどの河川に沿って移動し、13世紀前後の時期に各地にタイ系諸王国を形成し、東南アジア大陸部の民族史に新たな勢力圏を構成するに至った。タイ系諸族は拡散、移動の過程で、中国、インド両文化を受容し、また先住民文化をも吸収した。このように、シナ・チベット系諸族は、チベット高原、中国大陸部、東南アジア大陸部を舞台に多彩な歴史を展開してきたのであるが、中国南部山地からインドシナ半島の山間部に広く分布するミャオ・ヤオ系諸族も、その民族形成の過程でチベット・ビルマ系諸族やタイ系諸族、漢民族などと接触交流し、その影響を強く受けていると指摘されている。

[長谷川清]

『末成道男編『中国文化人類学文献解題』(1995・東京大学出版会)』『馬寅編・君島久子監訳『概説 中国の少数民族』(1984・三省堂)』『大林太良著『東南アジア大陸部諸民族の親族組織』(1978・ぺりかん社)』


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