オコンナー(英語表記)O'Connor, Feargus Edward

デジタル大辞泉 「オコンナー」の意味・読み・例文・類語

オコンナー(Feargus O'Connor)

[1794~1855]英国チャーチスト運動指導者アイルランド出身で、左派の実力行動派を指導して暴力革命を主張した。

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精選版 日本国語大辞典 「オコンナー」の意味・読み・例文・類語

オコンナー

(Feargus O'Connor フィアガス━) イギリスのチャーチスト運動指導者。過激な戦術を主張した「暴力派」に属し、一八四八年チャーチスト最後の大示威運動を指導した。(一七九四‐一八五五

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オコンナー」の意味・わかりやすい解説

オコンナー
O'Connor, Feargus Edward

[生]1796.7.18? コーク
[没]1855.8.30. ロンドン
アイルランドのチャーティスト運動指導者。ダブリン大学に学び,1832年アイルランド合同法廃止論者として下院議員に当選したが,過激な急進主義運動のため 35年議員を失格させられた。アイルランド民族運動の指導者 D.オコンネルとの反目から,イギリスにおけるチャーティスト運動に転じ,37年"Northern Star"紙を創刊し,北部,中部イングランドで活躍。 47年ノッティンガムから下院議員に再選。 48年のチャーティスト大示威運動を指導。 52年精神の健康を失った。

オコンナー
O'Connor, Rory; Roderic

[生]1116頃
[没]1198. ゴールウェー
アイルランドのコンノート王 (在位 1156~91) 。 T.オコンナーの子。 1166年以来アイルランド最後のアード・リー (上王) の称を得,イングランド王ヘンリー2世の軍の侵入に抵抗したが,75年ウィンザー条約を結んで屈服ヘンリーへの臣従貢納を約し,アイルランドがイングランドの支配下に入る発端をつくった。晩年王位を追われ,コング修道院で没した。

オコンナー
O'Connor, Turloch

[生]1088
[没]1156
アイルランドのコンノート王 (在位 1118~56) 。 R.オコンナーの父。 1119年アード・リー (上王) に選ばれ,アイルランドの政治的統一を大いに進めた。

オコンナー

オコナー」のページをご覧ください。

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旺文社世界史事典 三訂版 「オコンナー」の解説

オコンナー
Feargus Edward O'connor

1794〜1855
アイルランドのチャーティスト運動指導者
選挙法改正運動に参加。チャーティスト運動が起こるとその急進派を組織し,「北の星」紙を発刊。1848年の最後の運動を指導したが成功せず,絶望のあまり発狂した。

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367日誕生日大事典 「オコンナー」の解説

オコンナー

生年月日:1796年7月18日?
アイルランドのチャーティスト運動指導者
1855年没

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