ウェルマン(英語表記)William Augustus Wellman

改訂新版 世界大百科事典 「ウェルマン」の意味・わかりやすい解説

ウェルマン
William Augustus Wellman
生没年:1896-1975

アメリカの映画監督。第1回アカデミー作品賞を受賞した航空映画の名作つばさ》(1927)の監督として有名だが,ハリウッドの映画製作がもっとも豊饒(ほうじよう)だった1930年代を中心に,いわゆる〈企業内監督studio director〉として多彩なジャンルをこなした。とりわけ,ジェームズ・キャグニーを不滅のギャングスターに仕立てた《民衆の敵》(1931)は,ホークス監督の《暗黒街の顔役》とともにギャング映画流行のきっかけを作り,《スタア誕生》は内幕物の名作となり(1937年アカデミー・オリジナルストーリー賞受賞),私刑をテーマに心理ドラマを西部劇にもちこんだ《オックスボウ事件》は〈アダルト・ウェスタン〉のはしりとして,《G・I・ジョー》(1945)は戦場をリアルに描いた新しい戦争映画として,それぞれのジャンルを活性化させ,単なる職人監督以上の足跡を残した。ニューヨーク生れ。第1次世界大戦中フランスの外人部隊に志願し,ラファイエット飛行隊に加わり,戦後,帰国して曲乗りパイロットなどを経て,フェアバンクスに招かれて俳優として1919年に映画界入り。飛行隊時代につけられた〈ワイルド・ビル〉のニックネームどおりの向こう意気と反骨精神の持主で,ハリウッドでも撮影所の首脳部やスターたちと衝突を繰り返した。58年,第1次大戦の体験を描いた自伝的な映画《これが戦争だ》(1958)を製作・監督するが,公開時にワーナー・ブラザースによって《ラファイエット飛行隊》と改題され,さらに結末ハッピーエンドに変えられ幻滅して引退。74年,ロサンゼルスで回顧上映が行われたが,〈保守的な反共主義〉映画《鉄のカーテン》(1948),《中共脱出》(1955)などに対する批判もあり,その評価は二分されたという。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウェルマン」の意味・わかりやすい解説

ウェルマン
Wellman, William

[生]1896.2.29. マサチューセッツブルックライン
[没]1975.12.9. ロサンゼルス
アメリカの映画監督。堅実で,しかも幅の広い作風の評価が高く,まず無声期に空中戦をスペクタクル化した航空映画ジャンルを確立した。『つばさ』 Wings (1927,アカデミー作品賞) はその代表作。絶頂期の 1930年代には『民衆の敵』 The Public Enemy (31) などのギャング映画,『飢ゆるアメリカ』 Heroes for Sale (33) などの社会劇,そのほか『スタア誕生』A Star is Born (37) などの力作を発表した。

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世界大百科事典(旧版)内のウェルマンの言及

【ギャング映画】より

…やがてトーキーによって拳銃の発砲やマシンガンの掃射や自動車の疾走などが〈音〉を獲得するや,その暴力とアクションの魅力で大衆を熱狂させ,30年代初頭にギャング映画は黄金時代を迎えることになる。その口火を切ったのが,ギャング映画の古典として知られる次の3作,マービン・ルロイ監督,エドワード・G.ロビンソン主演《犯罪王リコ》(1930),ウィリアム・A.ウェルマン監督,ジェームズ・キャグニー主演《民衆の敵》(1931),ハワード・ホークス監督,ポール・ムニ主演《暗黒街の顔役》(製作は1930年,公開は32年)で,いずれもシカゴのギャングのボスとして鳴らし,当時まだ獄中にあったアル・カポネをモデルにして主人公の無法の人生と末路を描いた。主役を演じたロビンソン,キャグニー,ムニはいずれも一躍スターにのし上がり,また《暗黒街の顔役》でムニの弟分を演じたジョージ・ラフトとともに,4大ギャングスターとなった。…

【西部劇】より

… 50年代は西部劇の曲り角といわれるように(この時期は西部劇以外の分野の監督が初めて西部劇をつくるのが特徴である),かつてない屈折した人間ドラマが西部劇の中心になり,おおらかな西部魂や豪快な活劇性を喪失する。その前ぶれはすでに戦時中につくられた群衆心理による私刑とその当事者たちの内面の苦悩を描くウィリアム・A.ウェルマン監督の《オックス・ボウ事件》(1943)にあったが,デルマー・デービス監督のインディアンの側から見たヒューマニズム西部劇《折れた矢》(1950),殺し屋に狙われた保安官が町中の人々に助力を乞うという西部劇の定石からは想像もできない〈ふつうの人のふつうの話〉を描いたフレッド・ジンネマン監督の《真昼の決闘》(1952),ホームドラマと恋愛映画をミックスして貧しい開拓農民としがないガンマンの〈実像〉を描いたジョージ・スティーブンス監督の《シェーン》(1953)に至って,その心理ドラマの傾向は決定的になった。西部劇が西部劇を疑いはじめ,西部開拓史の洗い直しがはじまり,伝説が崩れていく。…

【つばさ】より

…サイレント映画最後の〈スペクタクル映画〉として知られる1927年製作のアメリカ映画。監督は第1次世界大戦でフランス空軍部隊に加わった経歴のあるウィリアム・A.ウェルマンで,〈航空映画〉の傑作として映画史に記される作品。キング・ビダー監督によるMGMの戦争映画の大作《ビッグ・パレード》(1925)に対抗してつくられたパラマウントの戦争映画で,第1次大戦を背景に男の友情と恋のドラマを描き,悲劇に終わる青春ロマンス的な物語であるが,見せ場は20台をこえるカメラを駆使して撮影したといわれる空中戦である。…

【フォンダ】より

…そのあとブロードウェーの《ミスター・ロバーツ》(1948)がヒットして続演をかさね,55年,その映画化でハリウッドへ復帰,さらにブロードウェーとテレビの出演をつづけながら,西部劇,喜劇,メロドラマ,戦争映画と多彩なジャンルで活躍して,78年にはアメリカ映画協会(AFI)の功労賞を受賞した。 西部の移住農民を通して30年代アメリカ社会の恥部を描いた《怒りの葡萄》,19世期末のネバダ州を舞台に反社会的なリンチを告発したウィリアム・A.ウェルマン監督《オックス・ボウ事件》(1943),現代アメリカの陪審制度による人権擁護を描いたシドニー・ルメット監督《十二人の怒れる男》(1957)をみずからの代表作として誇りにしていた。合計83本の映画に出演しながらアカデミー主演男優賞にノミネートされたのは《怒りの葡萄》でただ1度だけ。…

【民衆の敵】より

…1931年製作のアメリカ映画。ウィリアム・A.ウェルマン監督,ジェームズ・キャグニー主演作品。1920年代後半からシカゴをはじめ大都会でギャングの抗争と暴力行為が表面化した風潮を社会的背景として,トーキー初期にブームとなった〈ギャング映画〉のなかで,マービン・ルロイ監督,エドワード・G.ロビンソン主演の《犯罪王リコ》(1930),ハワード・ホークス監督,ポール・ムニ主演の《暗黒街の顔役》(1932)と並ぶ代表的作品として知られる(なお,これらはいずれもアル・カポネをモデルにしてつくられている)。…

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