インズオブコート(英語表記)Inns of Court

翻訳|Inns of Court

改訂新版 世界大百科事典 「インズオブコート」の意味・わかりやすい解説

インズ・オブ・コート
Inns of Court

イギリスで,上位の裁判所に出廷し弁論活動をなしうる法廷弁護士barristerの資格付与権を独占している私的な法曹団体で,法曹学院とも訳されている。互いに独立かつ対等の四つのイン(リンカンズ・イン,イナー・テンプル,ミドル・テンプル,グレーズ・イン)があり,それぞれ自らの古参のメンバーにより運営されている。法廷弁護士になろうとする者は,そのいずれかに所属し,一定回数会食し,資格試験に合格せねばならないが,資格取得後もそのインに属し一定の監督を受ける。しかし現在では,法廷弁護士の養成および資格試験の実施は,いわばその上部機関ともいえる法学教育評議会Council of Legal Educationが行い,さらにその上部には,資格付与の基準制定や懲戒等を含め法廷弁護士層全体を統轄する法廷弁護士連合評議会Senate of the Inns of Court and the Barがある。

 インズ・オブ・コートは,イン(宿屋)という名称が示しているように,もともとは,大学のカレッジ同様,将来法曹を志す人々が国王の中央裁判所での実地研修に便利な宿屋に起居を共にして,先輩後輩を指導したりいっしょに自学自習したことから始まるといわれており,14世紀までさかのぼることができる。法廷弁護士の資格を取るのに会食が要件とされているのは,その名ごりである。大学では長くローマ法と教会法のみしか教授されていなかったこともあり,インズ・オブ・コートがイギリス独自の法たるコモン・ロー発達に果たした役割は,きわめて大きい。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のインズオブコートの言及

【法曹】より

…12~13世紀の間は,カノン法やローマ法の基礎教育を経ていた国王裁判官が存在したが,13世紀末に決定的な方向転換が生じた(1292年の令状でエドワード1世は,法律家は諸カウンティから選び出されてウェストミンスターの法廷で養成されるべき旨を命じた)。14世紀にはインズ・オブ・コートができ,独特の法学教育の形態がつくり出された。上位の弁護士(サージャント,のちにはバリスターbarrister)が〈法曹一元〉の制度のもとに裁判官と一体感をもち,経験的・技術的な法学教育によるギルド的形態での法律家養成を行った(これがコモン・ローの中核的な担い手となる)。…

※「インズオブコート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」