コート(英語表記)Court, Margaret

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コート」の意味・わかりやすい解説

コート
Court, Margaret

[生]1942.7.16. オルベリー
オーストラリアのテニス選手。1960年代の女子テニス界に君臨した。1960年全豪選手権大会(→全豪オープン)女子シングルスで初優勝し,1966年に 7連覇を達成した。1970年に全豪オープン,ウィンブルドン選手権大会全仏オープン全米オープンテニス選手権大会の女子シングルスを制してグランドスラム(四大大会制覇)を達成。モーリーン・C.コノリーの女子テニス史上初(1953)に次ぐ 2人目のグランドスラム獲得選手となった。1963年に混合ダブルスでもグランドスラムを達成し,2種目でグランドスラムを達成した唯一の選手となった。全豪オープンで 11回,全仏オープンで 4回,ウィンブルドン選手権で 3回,全米オープンで 5回のシングルス優勝記録を樹立した。1967年に結婚し一時テニス界から退いたが,1975年に引退するまで世界四大大会で女子歴代最多の通算 66勝を達成した。テニスのプロ化後,プロに転じた。強力なサーブ・アンド・ボレーを武器に粘り強い戦いを展開し,女子テニスの世界ランキング 1位の座を通算 7年保持した。1979年国際テニス殿堂入りを果たした。

コート
Cort, Henry

[生]1740. ランカスター
[没]1800. ロンドン
銑鉄から練鉄を製造するパドル法(攪錬法)を開発したイギリスの発明家。1775年,イギリス海軍の文官として 10年間働いて貯めた資金を投じ,ポーツマス近くの製鉄所を買収。1783年,鍛造など従来の方法より短時間,低コストで圧延板を棒鉄などに加工できる溝つきローラを発明し,特許を取得。1784年には溶解した銑鉄を反射炉の中でかき混ぜるパドル法を開発し,再び特許を取得した。パドル法では,鉄の上で渦巻く石炭の炎と高温の気体が熱を加えるため,鉄は石炭に直接触れることなく溶解し,循環する空気との接触により炭素分が除去される。この方法と,それ以前に他の製鉄業者が開発した同様の方法との厳密な違いは不明だが,コートの二つの発明はイギリスの製鉄業に多大な影響をもたらし,その後 20年間でイギリスの鉄生産量は 4倍に増えた。しかしその後,共同事業主の出資金が盗んだ金だったことが判明したため,コートは特許を剥奪され破産。のちにごくわずかな年金のみが支給された。(→産業革命

コート
Couto, Diogo de

[生]1542. リスボン
[没]1616. ゴア
ポルトガルの歴史家,年代記作者。ドン・ルイス親王家で育てられ,サントアンタン学院およびベンフィカの修道院哲学を学んだ。 17歳のときインドに軍人として赴き,東洋で生涯大半を過ごした。フェリペ2世は彼をゴアの文書館長に任命し,ジョアン・デ・バーロスの『アジア旬年史』の続編を書かせた。主著は,対話形式でアジアにおけるポルトガルの衰退の原因を記述した『実際的な軍人』O Soldado Prático (1790) など。『未刊作品集』 Obras Inéditas (1808) がある。

コート
coat

通常,胴部に適合した腰丈またはそれより長い,外側に着る袖のある前開きの洋服。コートは元来カバーの意であり,一方チュニックとも同義である。このことから,外套,外被のほか,広く男子用の上衣,また男物仕立ての婦人用上衣,婦人子供用の長上衣,特定の地位や職業を示す服などの意に用いられる。コートの種別は形,素材,用途などによって多様であるが,一般的には,レインコートオーバーコートサックコート (背広服 ) ,フロックコートなどがある。 (→サーコート , ジャケット )  

コート
Koht, Halvdan

[生]1873
[没]1965
ノルウェーのヨーロッパ近代史家,政治家。 1935~41年外相に就任。第2次世界大戦中は亡命

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

精選版 日本国語大辞典 「コート」の意味・読み・例文・類語

コート

〘名〙 (coat)
① 防寒、防塵、雨よけなどのために、ふつうの衣服の上に着るもの。オーバーコート、レインコートなど。《季・冬》
※春迺屋漫筆(1891)〈坪内逍遙〉壱円紙幣の履歴ばなし「荒々しくコートのポッケットへ突込し手ざはり」
② 背広などの上衣。
※多情多恨(1896)〈尾崎紅葉〉前「柳之助のコートの襟が歪みなりに折れてゐるのを」
③ (━する) おおうこと。かぶせること。塗ること。

コート

〘名〙 (court) テニス、バレーボールなどの試合を行なう長方形の平面。
※東京二六新聞‐明治四一年(1908)二月二五日「ベースボール、テニス等の遊戯に適当なるコートを其中央に設くる筈なり」

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

百科事典マイペディア 「コート」の意味・わかりやすい解説

コート

英国の製鉄業者。数々の発明によって〈製鉄の父〉として知られる。海軍の事務官をしたのちプリマス近郊に製鉄所を購入して業界に入り,鋳物用の銑鉄を錬鉄に変える方法(パドル法)と薄型のローラーによる圧延法を発明して特許をとったが,訴訟事件に巻き込まれて倒産,年金暮らしに終わった。

コート

ノルウェーの歴史家,政治家。オスロ大学教授。国際歴史学委員会会長(1926年−1933年)。1935年に成立した労働党政権の外相となったが,1940年ドイツ軍の侵入とともにロンドンに亡命,戦後の1945年帰国。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル大辞泉 「コート」の意味・読み・例文・類語

コート(coat)

[名](スル)
防寒・雨よけなどのため、外出の時に普通の衣服の上に着るもの。オーバーコートレインコート吾妻あずまコートなど。 冬》「アイロンをあてて着なせり古―/久女
上着の類。「ブレザーコート
動物の毛。「ロングコートの犬種」
物の表面を薄い膜で覆うこと。コーティング。「フッ素でコートする」
[類語](1)(2外套オーバーマントケープガウン被布合羽

コート(court)

テニスバスケットボールバレーボールなどの競技場。「テニスコート
建物・塀などで囲まれた場所。中庭。
一区画。「フードコート
[類語](1競技場運動場野球場グラウンドコロシアムスタジアムトラックフィールドサッカー場ピッチゴルフ場スキー場ゲレンデ競馬場馬場パドックスケートリンクサーキットホームグラウンド

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

旺文社世界史事典 三訂版 「コート」の解説

コート
Henry Cort

1740〜1800
イギリス産業革命時の製鉄法の発明家
1784年パドル法と呼ばれる反射炉溶融法を発明して,良質錬鉄材の製造に成功し,19世紀初期の工業発達の基礎をつくった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

日本文化いろは事典 「コート」の解説

コート

[女性用] コートは外衣ともいい、着物の種類の中でも、外側に着用するものの総称です。防寒・防雨・防風などの実用的な面以外にも、着物の外観を装うおしゃれ着にもなっています。

出典 シナジーマーティング(株)日本文化いろは事典について 情報

世界大百科事典 第2版 「コート」の意味・わかりやすい解説

コート【coat】

最も外側に着用する,袖のついた長い丈の衣服。日本では外套ともいう。語源は,西ヨーロッパ中世に着用されたコットcotteに由来する。外側に着る同種のガウン,ローブ,マント,ジャケットなどとの区別は歴史的に明らかでないが,今日では丈の短い上衣のジャケットとは区別して使われる。一般にはオーバーコート,レインコートなど防寒,防塵,防雨または装飾としても着用されるものを指すが,モーニングコートフロックコートなどのように表着(うわぎ)化したものもある。

コート【Halvdan Koht】

1873‐1965
ノルウェーの歴史家,政治家。太古から近代に至る百科全書的な知識をもった同時代最大の歴史家。人民(かつては農民,近代においては労働者)の階級的利害は国民・民族の利害を代表しうるという命題を,歴史研究と政治活動の問題意識として持ち続ける。労働党に加盟(1911),地方自治行政に携わったのち,1935年成立の労働党政権の外相。ナチス・ドイツの祖国侵入のため国王,内閣とともにロンドンに亡命した。【熊野 聰】

コート【Henry Cort】

1740‐1800
イギリスの製鉄業者,発明家で〈製鉄の父〉と呼ばれた。1775年,ハンプシャーのゴスポートに製鉄所を設立。銑鉄を攪錬(パドリング)し,空気の脱炭作用によって可鍛鉄すなわち錬鉄に変えることに成功,84年に特許を取る。また溝型ローラーによる圧延法の開発でも前年に特許を得ていた。事業の方は共同経営者アダム・ジェリコの死後,工場の所有権をめぐる訴訟事件に巻き込まれて倒産した。【荒井 政治】

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のコートの言及

【鋼】より

…この鋼はるつぼに原料を密閉し加熱して溶かすので,るつぼ鋼とも呼ばれる。一方,18世紀ころから鋳鉄の製造法として反射炉が用いられはじめ大砲などが鋳造されていたが,イギリスのコートHenry Cort(1740‐1800)は,反射炉をさらにくふうして銑鉄の溶融だけでなく,溶融した銑鉄をかくはん(攪拌)することによって半溶融状の可鍛鉄をつくることに成功した。この反射炉はとくにパドル炉と呼ばれるが,19世紀後半W.シーメンズ,P.E.マルタンの努力によって反射炉はさらに改良され,溶融状態の鋼を容易に製造できる平炉がつくられた。…

【石炭鉱業】より

…しかし,石炭に対する需要が圧倒的に高まり,石炭鉱業が工業国の基幹産業となっていったのは,製鉄業および蒸気機関との結合によってである。18世紀初頭にA.ダービーが発明したコークス製鉄法や同世紀後半のH.コートによるかくはん式精錬法(パドル法)などによって,あらゆる種類の鉄が石炭を燃料として生産されるようになった。18世紀後半以来の産業革命が〈鉄と石炭の革命〉と呼ばれるひとつの理由がここにある。…

【鉄】より

… 錬鉄製造にも革命のときがきた。H.コートが従来の木炭精錬炉に代わって,すでに鉄の鋳造に利用されていた石炭たきの反射炉を銑鉄を錬鉄に変える炉にすることに成功したのである。ロストル(火格子)で自然送風によって石炭を燃やし,できる長い炎は火橋を越えて溶解室の銑鉄を溶かし,煙突に抜ける。…

【鋼】より

…この鋼はるつぼに原料を密閉し加熱して溶かすので,るつぼ鋼とも呼ばれる。一方,18世紀ころから鋳鉄の製造法として反射炉が用いられはじめ大砲などが鋳造されていたが,イギリスのコートHenry Cort(1740‐1800)は,反射炉をさらにくふうして銑鉄の溶融だけでなく,溶融した銑鉄をかくはん(攪拌)することによって半溶融状の可鍛鉄をつくることに成功した。この反射炉はとくにパドル炉と呼ばれるが,19世紀後半W.シーメンズ,P.E.マルタンの努力によって反射炉はさらに改良され,溶融状態の鋼を容易に製造できる平炉がつくられた。…

※「コート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

カッシーニ(Giovanni Domenico Cassini)

イタリア系フランス人の天文学者。カシニともいう。ニース近郊に生まれ、ジェノバで聖職修業中に、ガリレイの弟子カバリエリに師事して数学・天文学を修得し、1650年25歳でボローニャ大学教授に任ぜられた。惑...

カッシーニ(Giovanni Domenico Cassini)の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android