アントーノフ(読み)あんとーのふ(英語表記)Сергей Петрович Антонов/Sergey Petrovich Antonov

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アントーノフ」の意味・わかりやすい解説

アントーノフ
あんとーのふ
Сергей Петрович Антонов/Sergey Petrovich Antonov
(1915―1995)

ロシア(ソ連)の小説家。鉄道技師の家に生まれ、幼時は両親の仕事の関係でロシア全土を転々とする。レニングラード(現、サンクト・ペテルブルグ)の自動車道路大学卒業後、土木技師として働く。第二次世界大戦に従軍、工兵部隊を指揮する。このころから詩を書くことに熱中し、1943~1946年にはレニングラードの雑誌に詩を発表した。しかし、その後散文に転じ、1947年に短編小説「春」で小説家としてデビュー、すぐに才能を認められ、1950年に出版した短編集『道を自動車が行く』は翌1951年スターリン賞を受賞する。伝統的なリアリズムの手法で現代の農村生活を描くことを得意とし、初期は現実をやや理想化して描く傾向もみられた。しかし、短編「雨」(1951)あたりからソ連の現実を批判的に取り上げるようになり、『ペニコボの出来事』(1956)、『アリョンカ』(1960)や『引き裂かれたルーブル札』(1966)は批評界で激しい議論をよび、保守派からは社会主義リアリズムからの逸脱を批判されることもあった。そして、体制の枠内で執筆する公認された作家の地位にとどまりながらも、リベラルな良識派としての立場を貫いた。

 晩年ペレストロイカ(建て直し)の時期になって初めて発表することができた中編『ワーシカ』(1987年、執筆は1973年)は1930年代のモスクワの地下鉄建設を背景とし、それに続いて発表された中編『谷間』(1988)は農業集団化の悲劇を扱い、どちらもスターリン時代の過去を掘り起こす問題作として注目された。繊細な心理の洞察抒情(じょじょう)性、抑制された文体を特徴とする彼の小説は、チェーホフパウストフスキーの伝統を受け継ぐものであり、長編作家が多いロシアの小説界には珍しい短編小説の名手として記憶にとどめられよう。そういった彼の文学観や創作技法を語った評論集に、『短編小説についての手紙』(1964)、『私は短編を読む』(1966)、『一人称で』(1973)、『言葉――若い作家たちとの談話から』(1974)などがある。

沼野充義

『アントーノフ著、鹿島保夫訳『短篇小説作法』(1954・未来社)』『中村融・木村浩・清水邦生訳『ソヴェト短篇全集 第3巻 今次大戦以後』(1955・新潮社)』『江川卓・原卓也訳『現代ソヴェト文学18人集 第3』(1967・新潮社)』『草鹿外吉他編『世界短編名作選 ソビエト編』(1978・新日本出版社)』

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