ムスティエ文化(読み)ムスティエぶんか

改訂新版 世界大百科事典 「ムスティエ文化」の意味・わかりやすい解説

ムスティエ文化 (ムスティエぶんか)

フランス,ドルドーニュ地方のムスティエMoustier岩陰標準遺跡とする中期旧石器時代文化。最古のものはリス氷河期中に報告されるが,一般にはリス/ウルム間氷期末からウルム氷河期前半に盛行する。すなわち約7万年前から3万5000年前くらいに年代づけられる。分布は広く,ヨーロッパ,アジアおよび北アフリカで知られる。石器製作技術と石器組成をもとに,ボルドF.Bordesは五つの変異文化を識別した。(1)典型的ムスティエ文化 ルバロア技法が顕著で,削器に特色がある。(2)アシュール文化系ムスティエ文化 心葉形ハンド・アックスをもつ。(3)鋸歯縁石器ムスティエ文化 ノッチ,鋸歯縁石器が多い。(4)キナ型ムスティエ文化(シャラント文化ともいう) 削器の細部調整に特色がある。(5)フェラシー型ムスティエ文化 キナ型に似るが剝片剝離で少し異なる。しかしそれらの変異の生じる理由は明らかでない。季節による生活様式の差,気候・環境による差,遺跡の機能差,技術基盤の異なる民族が相互影響を受けなかった結果などの説明があるが,どれも定説になりえていない。ただルバロア剝片の認められる遺跡は石材原産地に近く,居住が短かったと考えられている。西アジアでは,ルバロア技法を指標として従来ルバロア文化とされたものが,文化の実体が明確にされなかったので,今日ではルバロア・ムスティエ文化と総称される。ムスティエ文化はネアンデルタール人によるものである。骨角器はほとんど認められないが,木器は多く用いられたと想像される。生活地域の周辺に不要物を山のように捨てた跡がある。生存に目的意識を集中する域を脱し,たとえば赤色顔料を塗って死体を埋葬する観念をもつに至った最古の証拠をこの文化は残している。スピー洞窟ベルギー),シャペル・オー・サン洞窟,ムスティエ岩陰,キナ遺跡,フェラシー遺跡(以上フランス)などに人骨の出土をみる。
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百科事典マイペディア 「ムスティエ文化」の意味・わかりやすい解説

ムスティエ文化【ムスティエぶんか】

ヨーロッパ中期旧石器時代の代表的文化。フランスのドルドーニュにあるムスティエMoustier岩陰遺跡にちなんで,モルティエが命名。この文化のにない手はネアンデルタール人と考えられ,北アフリカ,中近東インドなどにも分布。洪積世の第3間氷期からウルム氷期初めまで存続,内容は複雑で,アシュール文化ルバロア文化などが混成して生まれたものといわれる。住居は初め河岸段丘上に営まれたが,寒くなるにつれて洞窟住居に変わった。
→関連項目屈葬墳墓

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムスティエ文化」の意味・わかりやすい解説

ムスティエ文化
ムスティエぶんか
Mousterian culture

中期旧石器時代にヨーロッパに栄えた文化。標準遺跡はフランス,ドルドーニュ地方のル・ムスティエ。おもな利器は,粗末な骨器のほかに,剥片を使った刺突具,種々の用途にあてられたと考えられる細長いナイフなどで,この文化のにない手はネアンデルタール人である。その文化層から彼らが火を使用し,死者の埋葬を行なっていたことがわかる。彼らは種々の技術を身につけ,従来よりもはるかに生活領域を拡大し,北方地域へも移り住むようになった。地中海を取巻く,西アジア,北アフリカや,中央アジア,シベリア西部にも類似の様相を示す文化が存在している。東ヨーロッパのものは東ムスティエ文化,西アジアのものはレバンタイン・ムスティエ文化,中央アジアからシベリア西部のものはシベリア・ムスティエ文化,北アフリカのものはルバロア・ムスティエ文化と呼ばれ,それぞれ地方色をもつが,基本的な様相は共通するものが多い。現生人類の起源と関連するため,多くの議論が行われている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ムスティエ文化」の意味・わかりやすい解説

ムスティエ文化
むすてぃえぶんか
Moustier

西ヨーロッパを中心にみられる中期旧石器文化。中期旧石器時代には類似の様相をみせる文化が、広義の環地中海地域にはみられる。北アフリカおよび西アジアのルバロワゾ・ムスティエ文化、中央および東ヨーロッパの東ムスティエ文化である。これらはいずれも剥片(はくへん)につくられた尖頭(せんとう)器(ポイント)、横形削器(ラクロワール、サイド・スクレーパー)が特徴的な文化であり、類似したものである。ルバロワ技法の有無、特徴とする石器の形態、比率などによって、いくつかのグループに分けられる。標準遺跡はフランス南部の「先史時代の主都」ともよばれるレゼジー・ド・タヤック近郊にある同名の岩陰。この遺跡は19世紀に発掘調査が行われている。この文化はネアンデルタール人が残したものと考えられている。各地でそれぞれの地域なりに後期旧石器文化に移行することが確認されつつある。

[藤本 強]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ムスティエ文化」の解説

ムスティエ文化(ムスティエぶんか)
Moustier

フランスのドルドーニュ県ル・ムスティエ岩陰遺跡にちなむヨーロッパにおける旧石器時代中期の文化。ネアンデルタール人による文化で,ルヴァロワ技法の剥片(はくへん)石器を主流とする最後の間氷期の後年から,最後の氷期ヴュルム期初期に及び,遺跡は主として河岸段丘上に多い。スペイン,フランス,南イギリス,イタリア,ドイツ,オーストリア,ロシア,アフリカ北部,西南アジア,東南インドなどに分布。洞熊(ほらぐま)の頭蓋(とうがい),四肢骨の貯蔵,あるいは遺体の洞窟内や平地での埋葬例は宗教的意味を暗示する。ほかに人間の脳を食した形跡もある。

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世界大百科事典(旧版)内のムスティエ文化の言及

【旧石器時代】より


[中期旧石器時代]
 約8万年前から約3万5000年前まで続いた旧人(ネアンデルタール人)の時代であり,地質学上では最終氷期の前半に相当する。ヨーロッパにはネアンデルタール人によって残されたムスティエ文化の遺跡が広く分布している。とくに研究の進んでいるフランスでは,(1)典型的ムスティエ文化,(2)キナ・フェラシー型ムスティエ文化,(3)鋸歯縁石器ムスティエ文化,(4)アシュール系ムスティエ文化という4系統の文化が同時期に入り組んで痕跡を残している。…

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