黒本村(読み)くろもとむら

日本歴史地名大系 「黒本村」の解説

黒本村
くろもとむら

[現在地名]吉井町黒本・滝山たきやま

南は黒沢くろさわ戸津野とつの中勢実なかせいじつの三村に接し、山鳥やまどり山・山など標高二〇〇―三〇〇メートルの山々と滝山川に挟まれて細長い平地が広がる。村域は広いがほとんどが山地。慶長一〇年(一六〇五)備前国高物成帳(備陽記)周匝すさい保に黒本村とみえ、寛永備前国絵図では高七二一石余。正保郷帳に載る枝村は滝山・大林おおばやし戸屋とや大坂おおさかの四村で、「備陽記」では滝山・大林・戸屋(戸野ともいう)・大坂・焼松やけまつ炭先すみざき谷口たにぐち和田わだ広高下ひろこうげ(広神下ともいう)とあり、滝山は別記される。文化年間の「岡山藩領手鑑」には黒本村の枝村として広高下・大林・大坂がみえ、黒本村のうち滝山の枝村が王子おうじ寺谷てらだに・戸屋となっている。承安三年(一一七三)一二月日の安倍頼広解(黄薇古簡集)に記される周匝すさい郷高野山内四至の四限に「滝山」、承元三年(一二〇九)八月日の西明解(同書)に記される高野山内滝山別所四至の東限に「焼松谷」がみえる。

貞享元年(一六八四)には又高は一〇七石余で、万荒引高が一一五石余と高く(「赤坂郡高目録」池田家文庫)、享保五年(一七二〇)一五五石、文化(一八〇四―一八)初年二〇九石と増加している(「年貢免状」湯原文書)

黒本村
くろもとむら

[現在地名]小山市黒本

おもい川と支流の姿すがた川の合流点付近西岸にあり、南は島田しまだ村、北は桶田おけた村。応永一二年(一四〇五)一二月二七日の熊野御師米良氏の旦那交名(米良文書)にみえる「小山庄内来本郷」は当地をさすとされる。同郷は同二四年七月二四日の足利持氏と推定される某書下写(松平基則氏所蔵文書)により小山満泰に与えられている。天文五年(一五三六)と推定される一一月二七日の小山高朝伊勢役銭算用状写(佐八文書)には小山領上郷分として「くろもと」があり、役銭は五貫一二五文を負担していた。

寛永一九年(一六四二)のぬか・わら割付(大出善作文書)に「黒本」とみえる。慶長七年(一六〇二)より下総古河藩領、元禄七年(一六九四)幕府領、同一〇年宇都宮藩領となり、正徳元年(一七一一)幕府領、享保一一年(一七二六)以降旗本渋谷領(年未詳「領主代々書上覚」増田昭三文書)

黒本村
くろもとむら

[現在地名]東予市三芳 黒本

周桑しゆうそう平野の北部、大明神だいみようじん川下流左岸にある。なか村の南に位置する。古代の駅路に面した街村。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)桑村くわむら郡の項に「黒元村 小川有」とみえ、村高三〇〇石、うち田方二六三石九斗三升七合、畠方三六石六升三合とあり、田地卓越の村である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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