麻布宮村町(読み)あざぶみやむらちよう

日本歴史地名大系 「麻布宮村町」の解説

麻布宮村町
あざぶみやむらちよう

[現在地名]港区六本木ろつぽんぎ六丁目・元麻布もとあざぶ二―三丁目

麻布台地の頂部周辺にあり、片側町が分散している。麻布総鎮守氷川宮の所在地で宮村と称していたが、寛文二年(一六六二)社地が増上寺住職隠居屋敷に召上げられたため同社は現在地に移り、集落が所々に分れる形になっていても小名は変わらず宮村を称した。町域は麻布南日下窪あざぶみなみひがくぼ町・同北日下窪町・同宮下みやした町・同永坂ながさか町などと錯綜し一五ヵ所に細分される。大きく四ヵ所に分けると、北の部分は東が麻布北日下窪町・同南日下窪町、西は円福えんぷく寺、南は下総小見川藩内田家上屋敷・京都町奉行松平邸、北は長門長府藩毛利家上屋敷など。東の部分は東が書院番組頭大島備後守下屋敷および同抱屋敷、西は内田家上屋敷、南は龍沢りゆうたく寺・麻布永坂町・芝増上寺隠居屋敷。西の部分は東が内田家上屋敷裏門・千蔵せんぞう寺・寄合松平邸、西は長玄ちようげん寺・賄方組屋敷、南は本光ほんこう寺、北は内田家上屋敷・称念しようねん寺など。鳥居とりい坂下飛地の部分は、東と西が麻布南日下窪町、南は同宮下町、北は書院番京極邸。

正徳三年(一七一三)町奉行支配になったが、鷹狩の場所として年貢など諸役を勤めている。御用地となって与えられた代地は広尾ひろお辺にある。北部分の間数は北側が東西表田舎間一二八間・裏幅一六〇間余、南北は奥行が東方二六間余・西方一五間余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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