鷹巣町(読み)たかのすまち

日本歴史地名大系 「鷹巣町」の解説

鷹巣町
たかのすまち

[現在地名]相馬市西山にしやま 西山

新馬場しんばばから南西西山村の鷹巣山の麓に延びた二一〇間の町で、武家屋敷が軒を連ねる。古くは安養寺あんようじ小路・長松寺ちようしようじ小路ともよばれた。通りの途中から南へ鷹巣町東横町、西端から南へ鷹巣町西通が延びる。家数は、鷹巣町がもと二六戸で、幕末に二五戸、東横町がもと四戸で、幕末に二戸、西通にはかつて安養寺があり、幕末に四戸となっている(以上「奥相志」)

鷹巣町
たかのすまち

面積:三二四・六四平方キロ

米代川に北から流れ込む綴子つづれこ川・糠沢ぬかざわ川、および南から流入する小猿部おさるべ川の流域よりなる。米代川の北側を国道七号(旧羽州街道)東西に走り、阿仁あに方面から北上する同一〇五号が町の中心部で交わる。山地が多く、集落はこれら河川や道路に沿って点在

明治二二年(一八八九)鷹巣村さかえ村・坊沢ぼうざわ村・七座ななくら村・綴子村・沢口さわぐち村・七日市なのかいち村が成立。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報