鴨神社(読み)かもじんじや

日本歴史地名大系 「鴨神社」の解説

鴨神社
かもじんじや

[現在地名]大安町丹生川上

丹生川上にゆうがわかみ集落のほぼ中央に鎮座する。祭神は鴨別雷大神・玉依毘売命、旧郷社。創建などの詳細は不詳だが、大安寺伽藍縁起并流記資財帳(奈良市正暦寺蔵)に天武天皇二年奈良大安寺に寄進された「宿野原伍佰町」の四至に「東鴨社」とある。次に、「延喜式」神名帳「員弁郡十座」の項の筆頭に「鴨神社」とあり、また、「神鳳鈔」に「鴨大明神社神田并幣料田」とみえる。

鴨神社
かもじんじや

[現在地名]吉井町仁堀西

「延喜式」神名帳の赤坂あかさか郡鴨神社三座に比定される。祭神は鴨建角身命・玉依日売命・鴨別雷命といわれる。旧村社。近世には加茂社と記された。創祀年代は不詳。京都上賀茂かみがも神社社家松下遠久以来代々松下氏が社務を兼帯。文化年間の「岡山藩領手鑑」によると仁堀西にぼりにし村に社領一五〇石がある。これは宇喜多秀家が松下兵部大輔に与えたもので、慶長年中(一五九六―一六一五)池田利隆から上賀茂神社氏人西池左兵衛に与えられたが、松下兵部大輔がそれに対して異議を申立て、結局直高を二〇四石余とし、一五〇石(地高一〇九石余)が松下兵部大輔に、五四石余(地高四〇石余)が西池左兵衛に与えられた。賀茂社家に対し、大名から知行が与えられることは異例とされる(「社寺旧記」池田家文庫)

鴨神社
かもじんじや

[現在地名]坂出市加茂町

近世の鴨村域には鴨神社が二社あり、井手西いでにしの鴨神社を西鴨にしかも神社、井手東の鴨神社を東鴨神社とよんで区別する。西鴨神社の祭神は別雷命、旧村社。東鴨神社の祭神は一言主命・玉依姫命、旧村社。「延喜式」神名帳に阿野あや郡三座の一として鴨神社が載り、これは「三代実録」によれば貞観七年(八六五)一〇月九日従五位上に、同一七年五月二七日正五位下を授けられた賀茂神(賀茂天神)に相当すると考えられる。

鴨神社
かもじんじや

[現在地名]高槻市赤大路町

赤大路あかおおじの北端、旧島下しましも郡との境近く字鴨林かんばやしにある。祭神は古来三島大明神とよばれる大山積神。旧村社。三島鴨神・五位鴨ごいのかも社・三島神とも称されたという。赤大路の産土神。当社を「延喜式」神名帳に載る島下郡「三嶋鴨ミシマカモ神社」に比定する説がある。一方、三島江みしまえ三島鴨神社と称する神社があり、「摂陽群談」「摂津名所図会」などは同社を式内社とする。

鴨神社
かもじんじや

[現在地名]山陽町大字厚狭

厚狭盆地の北東部丘陵に鎮座。祭神は鴨建角身命・鴨別雷命・玉依姫命。旧郷社。

「注進案」によればこの地は、大内氏の祖と伝える琳聖太子の母が来朝の折、厚狭の久津くつ(現沓)に宮居した所と伝え、大同三年(八〇八)賀茂かも上下両社(現京都市)の霊夢を住民が見たため、両社を祀ることになったという。この創建伝説は村内に賀茂御祖かもみおや神社(現京都市左京区の下鴨神社)の社領である厚狭庄(鴨庄)があったことに由来すると思われる。同書によれば、建久七年(一一九六)村内河東かとう(現加藤)の現在祐念ゆうねん寺がある所に移転したが、応仁年間(一四六七―六九)火災に遭い、元和四年(一六一八)藩主毛利氏によって再建され、さらに厚狭市あさいちの街並を整理した時、藩主の命で現在地に移ったという。

鴨神社
かもじんじや

[現在地名]三加茂町加茂

加茂山上かもやまのうえの北山麓にある旧郷社。主祭神は別雷命。「延喜式」神名帳の美馬みま郡に記載されている同名社に比定される(「阿波志」など)。当地は古代の三好郡三津みつ郷の地に比定されており、寛治四年(一〇九〇)一〇月九日の三好郡司解(賀茂別雷神社文書)によれば、三津郷の一部が京都賀茂別雷かもわけいかずち神社に寄進された。その結果、当地には同社領の福田ふくだ庄が成立し、当社は同庄の鎮守社として勧請されたものと考えられる。近世には徳島藩主蜂須賀氏の崇敬も厚かったという。寛保改神社帳には「式賀茂大明神」とあり、神主は加茂村の白川信濃・長太夫・助大夫・権之進とする。

鴨神社
かもじんじや

[現在地名]玉野市長尾

鴻巣かんす山の西麓に位置し、「延喜式」神名帳児島郡の鴨神社に比定される。祭神は味高日子根命、相殿に仲哀・応神両天皇、神功皇后を祀る。大和国高賀茂たかかも神社(現奈良県御所市)系の神社である(境内由緒石碑)。「備前国神名帳」金剛寺本には正四位上「鴨大明神」とある。貞永二年(一二三三)宇佐八幡宮を勧請して以来、加茂八幡宮と称され、創建の年ともされてきたが、明治二年(一八六九)に鴨神社に復した。

鴨神社
かもじんじや

[現在地名]川西市加茂一丁目

加茂かも台地の北東部に鎮座。弥生時代の加茂遺跡の中心にあたる。祭神は別雷神。旧村社。「延喜式」神名帳に河辺かわべ郡七座の一つとしてみえる小社「鴨神社」に比定される。「新撰姓氏録」摂津国皇別にみえる彦坐命の後とする鴨君や、同神別にみえる大国主神の後とする鴨部祝はこの地方の豪族と考えられ、本来はそれらの氏族の祖先神を祀っていた可能性がある。文政八年(一八二五)の加茂村明細帳(篠木家文書)に氏神加茂皇大神宮とあり、除地境内は東西二七間半・南北六五間で、禰宜・神主はなく、宮座により三年交替で火灯の番を勤めてきたという。

鴨神社
かもじんじや

[現在地名]鴨方町鴨方

鴨山の南麓に鎮座。境内七二四坪で、本殿・幣殿・拝殿などからなる。近世は加茂明神社と称され、「備中誌」によれば祭神鴨別雷命。明王みようおう院の古記に慈覚が養子ようし山を開いたとき鎮守として京都より加茂明神を勧請したとあり、当社の始めとされる。「岡山県神社誌」によれば鴨方藩池田政言の氏神で毎年初穂料が献じられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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