三加茂町(読み)みかもちよう

日本歴史地名大系 「三加茂町」の解説

三加茂町
みかもちよう

面積:六七・七四平方キロ

吉野川南岸、郡の東部に位置。東は美馬みま半田はんだ町、西は井川いかわ町、南は山稜を挟み東祖谷山ひがしいややま村・西祖谷山村、北は吉野川を隔て三好町・三野みの町。四国山地から北流する加茂谷かもだに川・山口谷やまぐちだに川などが平地を形成し吉野川に注ぐ。これら小河川沿いの山腹に急斜面を利用した集落が散在する。町域北部を東西に国道一九二号・JR徳島線が通る。

町内の考古遺跡は八六ヵ所で、県下有数の多さである。これは県西部一の沖積平野に裏付けられた生産力と、地元郷土史家の情報収集の成果による。旧石器時代の遺跡は、昭和四四年(一九六九)ナイフ形石器が二点採集された標高約三二〇メートルの西庄の丹田にししようのたんだ遺跡と近くのアゲンドー遺跡がある。縄文時代では西庄加茂谷川岩陰かもだにがわいわかげ遺跡群の一・二・五号岩陰や加茂の稲持かものいなもち遺跡で発掘調査が行われ、重要な成果があった。加茂谷川岩陰遺跡群からは早期―晩期の遺物が出土した。稲持遺跡は晩期前半の磨製石斧など、製作工程を復原できる豊富な石器群が特徴である。ほかに石棒が採集された毛田けたの毛田遺跡がある。弥生時代では前期末の壺形土器が出土した加茂の東原ひがしはら遺跡のほか五ヵ所の遺跡がある。稲持遺跡では弥生中期末から古墳時代初頭までの遺構・遺物が大量に出土し、蛇紋岩製勾玉製作工房などが検出された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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