員弁郡(読み)いなべぐん

日本歴史地名大系 「員弁郡」の解説

員弁郡
いなべぐん

面積:二四三・〇一平方キロ
東員とういん町・員弁いなべ町・大安だいあん町・北勢ほくせい町・藤原ふじわら

桑名郡の西に隣接し、伊勢国の北端を形成する郡。西に一〇〇〇メートル級の鈴鹿山脈が連なり、東北に標高六〇〇―八〇〇メートルの養老ようろう山地が走る。この両者が合致した辺りが郡の北端で、そこを水源とする員弁川が、支流を合せながら東南に流れる。その中流域では河岸段丘、下流では沖積平野が形成され、鈴鹿山脈の東麓には扇状地が発達している。

〔原始〕

鈴鹿山脈東麓には、幾つかの縄文遺跡が点在している。当郡内でも、大安町照光寺西南しようこうじせいなん遺跡・野々田ののだ遺跡で早期の押型文土器をはじめ各時期の土器片が表採されている。また、大安町片樋かたひ地内では、御物石器・石剣も発見されている。このほか大安町の石榑いしぐれ、北勢町の治田はつた東村ひがしむらなどで土器片や石器類が見つかっており、県内でも同時代の遺跡・遺物の多い地域である。弥生時代の遺跡・遺物の発見は、当郡内では少なく、わずかに北勢町中山なかやま・大安町照光寺・野々田などで中期以降の土器片採集が報告されるにとどまる。古墳時代に至っても、員弁町おか一号墳の確実な例を除けば北勢町麻積塚おみづか一号墳・東員町猪名部神社いなべじんじや一号墳が前方後円墳と推定されるにすぎない。古墳時代後期でも大規模な古墳群は形成されず、大安町野々田古墳群(一〇基)宇賀新田うがしんでん古墳群(一一基)・員弁町北野中きたのなか古墳群(五基)などが築造されるのみであり、この地域の本格的な開拓は奈良時代以降と考えざるをえない。東員町山田やまだ地内には、奈良時代の瓦を出土する山田廃寺(員弁廃寺)が推定されているが所在確認までには至っていない。

〔古代〕

員弁の郡名は古代この地の豪族猪名部氏(為奈部・伊奈部とも書く)による。ただ郡名としては「和名抄」以来一貫して「員弁」の字を用い、「いなべ」と読ませている。猪名部氏は「日本書紀」応神天皇三一年条に、よき船大工として新羅王から献上されたのを始祖とすると記されており、記紀・続紀には木工技術集団として現れることが多く、畿内を中心に各地に居住していた。「新撰姓氏録」には、百済国人中津波手を祖先とする為奈部首と、伊香我色男命を祖先とする猪名部造と為奈部首とを載せている。伊香我色男命とは物部氏の系譜に現れる神であるから、この氏族は物部氏の一族といえよう。伊勢の猪名部に関しては、書紀雄略天皇一八年八月条の記事があげられることが多い。これは天皇が物部菟代宿禰と物部目連に命じて、伊勢の朝日郎を討伐させた時、天皇は菟代宿禰が臆病だったので、彼がもっていた「猪名部」を奪って、目連に賜ったというものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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