高瀬庄・小高瀬庄(読み)たかせのしよう・こだかせのしよう

日本歴史地名大系 「高瀬庄・小高瀬庄」の解説

高瀬庄・小高瀬庄
たかせのしよう・こだかせのしよう

古代の茨田まんだ郡高瀬郷(和名抄)に成立したとみられる庄園。高瀬庄は承平元年(九三一)一一月二七日付神護寺実録帳写(神護寺文書)の「諸国庄々田地並券契目録」に「高瀬庄同国」とみえる。同国は河内国。下って「吾妻鏡」文治二年(一一八六)正月一一日条に「高瀬庄事、不武家沙汰之由、雖仰下、北条殿注所存於折紙、被帥中納言云々。高瀬庄事、雖兵粮米、於地頭惣追捕使者被補候畢。但於狼藉者可停止候也」とあり、本補地頭が設置されていたこと、幕府から課された兵粮米を究済していること、当庄に対する武家の沙汰・狼藉の停止が命じられたことが知られる。この時も神護寺領であったか否かはわからない。次いで正治二年(一二〇〇)二月二八日の吉田経房処分状案(京都大学文学部所蔵文書)に「少将実宣朝臣」に譲渡する所領として「河内国高瀬庄前斎院御領」が載るが、「可相伝之由、申成庁下文了、雖其志深其力已微也、可恥可悲」と記されている。相伝の権利は保持しているものの実際は何人かに押領されていたもののようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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