日本大百科全書(ニッポニカ) 「高木東六」の意味・わかりやすい解説
高木東六
たかぎとうろく
(1904―2006)
作曲家、ピアノ奏者。鳥取県生まれ。1923年(大正12)に東京音楽学校(現在の東京芸術大学)を中退して渡仏、パリ国立音楽院、スコラ・カントルム音楽院で学び、バンサン・ダンディに作曲を師事。32年(昭和7)に帰国して第1回ピアノ独奏会を開いて以来、フランス近代のピアノ曲の紹介に努めた。以後、作曲のほか、ピアノ奏者および教育者として活動。宝塚歌劇の作曲および指揮を務めるほか、ビクター専属作曲家、シャンソンの専門学校である東京エコール・ド・シャンソンの校長などを歴任。大衆に親しみやすいピアノ曲、歌曲、童謡を作曲し、テレビ、ラジオなどのマスメディアを通しての啓蒙(けいもう)活動、アマチュア合唱団の主宰などにより、クラシック音楽を幅広い聴衆層に普及させた功績は大きい。おもな作品は『朝鮮風舞踊組曲』(1940)、オペラ『春香』(1942~46)、オペラ『唐人お吉』(1981)、日本童謡賞を受賞した『ライオンの子守唄』(1982)など。1950年(昭和25)に大流行した歌謡曲『水色のワルツ』(1948)の作者としても知られている。
[楢崎洋子]
『『ぼくの音楽論――とくにお母さんのために』(1968・日本放送出版協会)』▽『『シャンソン』(1971・修道社)』▽『『ドレミファ談義』(1971・日本経済新聞社)』▽『『あなたもメロディーが作れる』(1972・社会思想社)』▽『高木東六編『日本童謡集』(1976・成美堂出版)』▽『高木東六編『日本民謡集』(1977・成美堂出版)』▽『高木東六編著『東六が創った歌のメルヘン93』(1978・ひかりのくに)』▽『『愛の夜想曲』(1985・講談社)』▽『『とうろくらぷそでい』(中公文庫)』▽『高木圀夫著『高木東六ファンタジア――永遠の調べ』(2002・文園社)』