高木八尺(読み)たかぎやさか

改訂新版 世界大百科事典 「高木八尺」の意味・わかりやすい解説

高木八尺 (たかぎやさか)
生没年:1889-1984(明治22-昭和59)

アメリカ研究の先駆者。英学者神田乃武次男。学習院,一高を経て東大法学部を卒業。その間,新渡戸稲造薫陶を受け,また内村鑑三の門下に入る。東大に通称ヘボン講座と呼ばれる〈米国憲法・歴史及び外交講座〉が設けられるにあたり,1918年講座担当者に任命され,アメリカ留学の後,24年開講。以来50年定年退職するまで,戦前戦中戦後と一貫して変わらぬ知的誠実さをもってアメリカ民主主義の流れを講じた。他方太平洋問題調査会IPR)の常任理事として活動し,太平洋戦争に際しては開戦回避に努め,また終戦工作にもあたった。戦後,学際的なアメリカ研究の必要性を痛感し,アメリカ学会を組織し,《原典アメリカ史》を刊行,また国際文化会館の設立にあたるなど国際文化交流に尽くした。65年,アメリカ歴史学会の名誉会員に選ばれた。晩年は《新渡戸稲造全集》全16巻の編集にあたった。著書には《米国政治史序説》(1931),《高木八尺著作集》全5巻(1970-71)などがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高木八尺」の意味・わかりやすい解説

高木八尺
たかぎやさか
(1889―1984)

日本におけるアメリカ研究の開拓者。英学者神田乃武(ないぶ)の二男として東京に生まれる。第一高等学校時代、新渡戸稲造(にとべいなぞう)の薫陶を受け、内村鑑三(かんぞう)の門下に入る。東京帝国大学法学部卒業後、同大学の「米国憲法・歴史及び外交」講座の初代担当者となり、1924年(大正13)より開講。戦前、戦中、戦後を通じ筋を曲げることなくアメリカ民主主義の流れを教えてきた。同時に、太平洋戦争の開戦防止に努め、また終戦工作にもあたり、戦後は国際的文化交流のために尽くしてきた。『米国政治史序説』(1931)をはじめ著書が多いが、戦後、アメリカ学会を組織し、『原典アメリカ史』(全七巻)の刊行などを通し、後進養成、指導にあたった。これらの功により、アメリカ歴史学会American Historical Associationの名誉会員(1965)、文化功労者(1967)、国際交流基金賞受賞者(1978)に選ばれている。

[齋藤 眞]

『東京大学アメリカ研究センター編『高木八尺著作集』全五巻(1970~71・東京大学出版会)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高木八尺」の解説

高木八尺 たかぎ-やさか

1889-1984 大正-昭和時代の政治学者。
明治22年12月25日生まれ。神田乃武(ないぶ)の次男。大正7年母校東京帝大の「米国憲法・歴史及び外交講座」担当者となり,アメリカ留学後,13年教授。太平洋戦争に際して開戦回避につとめ,終戦工作にもあたる。戦後アメリカ学会を組織した。文化功労者。学士院会員。昭和59年4月28日死去。94歳。東京出身。著作に「米国政治史序説」など。

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