高屋神社(読み)たかやじんじや

日本歴史地名大系 「高屋神社」の解説

高屋神社
たかやじんじや

[現在地名]内之浦町北方

木の杉添はしのきのすぎぞえにある。祭神は彦火火出見尊・豊玉姫命・天津彦火瓊瓊杵尊・木花咲耶姫命・彦波瀲武鵜草葺不合尊・玉依姫命など。旧郷社。「三国名勝図会」に正一位高屋神社と記され、鷹屋大明神社とも記された。景行天皇が熊襲征伐のため当地に来た際、天子てんし山に滞在中、彦火火出見尊を葬る陵が高屋山の頂上にあって麓から二里ばかりの距離があり、参拝のための道が険しいことから尊の霊を現在地へ勧請し創建したと伝える(三国名勝図会)

高屋神社
たかやじんじや

[現在地名]宮崎市村角町

橘尊たちばなそんにある。祭神は彦火火出見命・豊玉姫命・景行天皇。旧村社。高野たかの八幡宮高屋宮とも称された。境内は古墳の一部ともいわれ、彦火火出見命の陵墓日向高屋山上陵」の伝承地の一つ。建久図田帳にみえる鷹居たかい別符は宇佐大鏡に載る村角むらすみ別符のこととされ、鷹居は高屋の転訛とされる。嘉祥年間(八四八―八五一)の創建と伝える。

高屋神社
たかやじんじや

[現在地名]観音寺市高屋町

七宝しつぽう山系の最高峰、稲積いなづみ(四四四メートル)山頂鎮座。祭神邇邇杵命・保食神・木花咲夜姫命。旧県社。近世には稲積明神・高稲積大明神ともよばれた。「延喜式」神名帳に載る同名社に比定され、貞観九年(八六七)五月一七日、高家神は正六位上に昇叙している(三代実録)。社伝によれば古代の高屋郷(和名抄)の産土神として稲積山頂に祀られていたが、慶長年間(一五九六―一六一五)に山の中腹に移し、宝永年間(一七〇四―一一)山麓に遷宮した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報