高史明(読み)こさみょん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「高史明」の意味・わかりやすい解説

高史明
こさみょん
(1932―2023)

小説家。山口県下関(しものせき)市生まれの在日朝鮮人二世。本名金天三(キムチョンサム)。第二次世界大戦の戦時下の日本で創氏改名を余儀なくされ、一人の日本人教師との出会いによって朝鮮人としての矜持(きょうじ)をもつようになるが、1945年(昭和20)高等小学校を中退。さまざまな底辺労働を遍歴。政治活動にも参加するが、1954、1955年に重い精神的葛藤を体験する。日本共産党における政治活動のなか、妻となる岡百合子(おかゆりこ)(1931― )と出会う。20歳を過ぎたばかりのころ「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」ということばにひかれ、『歎異抄(たんにしょう)』をひもとくがやがて文学を志すようになる。約10年の独学を経て、高橋和巳らによる季刊誌『人間として』に「夜がときの歩みを暗くするとき」を発表、同名の単行本として1971年刊。朝鮮人である自分、二つに分断した朝鮮、朝鮮人でありながら口にし、考えるのは日本語によるという幾重にも分裂した自己の統一をいかにして回復していくかというテーマで、以後作家生活に入る。1973年『彼方に光を求めて』刊行。国際結婚を反対され、入籍しないままの結婚生活のなかで1962年に生まれた子、岡真史(おかまさふみ)は妻の籍に入るが1975年自死。子どもに先だたれる逆縁の悲しみにより改めて『歎異抄』に導かれ、親鸞(しんらん)の教えに帰依(きえ)していくことになる。息子が残した「ぼくはうちゅう人だ」などの詩を集めた『ぼくは12歳――岡真史詩集』(1976)を妻とともに出版。『生きることの意味――ある少年のおいたち』(1975)により1975年度の日本児童文学者協会賞受賞。子どもたちの生きる力や互いの命をたいせつにする心の希薄さが指摘されるなか、それを子どもとの関係でどのように見直し、育んでいけばいいのかを、自らの体験をもとにして提言。『一粒の涙を抱きて』(1977)、『いのちの優しさ』(1981)、『歎異抄との出会い』三部作(『少年の闇』1983、『青春無明』1983、『悲の海へ』1985)、『親鸞に出会う』(共著、1986)、息子に対してあまりに短かった「生」と「死」を問いかける『「ことばの知恵」を超えて――同行三人』(1993)、『いま「いのち」の声を聞く――自死のわが子より学びしこと』(1999)、『深きいのちに目覚めて』(1998。第15回青丘賞)などの著書がある。1993年(平成5)第27回仏教伝道文化賞受賞。

[朴 文順]

『『夜がときの歩みを暗くするとき』(1971・筑摩書房)』『『彼方に光を求めて』(1973・筑摩書房)』『『一粒の涙を抱きて』(1979・毎日新聞社)』『『青春無明』(1983・径書房)』『『悲の海へ』(1985・径書房)』『『「ことばの知恵」を超えて――同行三人』(1993・新泉社)』『『深きいのちに目覚めて』(1998・彌生書房)』『『いま「いのち」の声を聞く――自死のわが子より学びしこと』(1999・佼成出版社)』『『現代によみがえる歎異抄』(2001・NHK人間講座テキスト)』『『いのちの優しさ』『生きることの意味――ある少年のおいたち』(ちくま文庫)』『高史明他著『親鸞に出会う』(1986・旺文社)』『岡百合子著『白い道をゆく旅』(1993・人文書院)』『「住井すゑ・高史明対談」(高史明『いのちの涙あふれ』所収、1998・旬報社)』『『ぼくは12歳――岡真史詩集』(角川文庫)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高史明」の解説

高史明 コ-サミョン

1932- 昭和後期-平成時代の小説家。
昭和7年1月17日山口県生まれ。在日朝鮮人2世。15歳の時から各種の仕事につく。日本共産党にはいるが,のち民族問題のために離党。昭和46年この時の葛藤(かっとう)を「夜がときの歩みを暗くするとき」にえがく。50年自伝的エッセイ「生きることの意味」で日本児童文学者協会賞。本名は金天三(キム-チヨンサム)。著作はほかに「歎異抄のこころ」など。

高史明 こう-しめい

コ-サミョン

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