願成就院跡(読み)がんじようじゆいんあと

日本歴史地名大系 「願成就院跡」の解説

願成就院跡
がんじようじゆいんあと

[現在地名]韮山町寺家

寺家じけ西端のもり山とその周辺一帯にあった寺院の跡。国指定史跡。現在守山の東麓にその法統を継ぐ高野山真言宗願成就院があり、山号は天守君山、本尊阿弥陀如来。「増訂豆州志稿」に「金鶴林寺ト称ス」とあるが、金鶴林きんかくりん寺の名は後述の願成就院と名付けられる以前のものともいわれる。

行基が開いたと伝えられる古刹で、現在の願成就院に残る不動明王立像は、その胎内札銘によって文治二年(一一八六)五月三日に運慶が造立、檀越北条時政であったことがわかる。同五年六月六日、源頼朝の奥州征討の成就を祈って立柱上棟された伽藍が「願成就院」と名付けられ、「本尊者阿弥陀三尊并不動・多聞形像等也」という(吾妻鏡)。建久五年(一一九四)三月二五日、鎌倉幕府は当寺で伊東祐親らの冥福を祈る供養を行い、七月二三日には寺の破損修理のため北条義時が下向している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「願成就院跡」の解説

がんじょうじゅいんあと【願成就院跡】


静岡県伊豆の国市寺家にある寺院跡。伊豆半島韮山(にらやま)の西端、狩野(かの)川沿いにある標高100mの守山東麓に位置し、『吾妻鏡(あづまかがみ)』に記されたように、奥州討伐の成功を祈願して北条時政(ときまさ)が1189年(文治5)に創建した寺である。現在、残存するのは1789年(寛政1)に建立された茅葺き本堂だけだが、運慶作の阿弥陀如来坐像や不動三尊立像、毘沙門天立像(いずれも重要文化財)があり、この不動・毘沙門両立像の胎内から1752年(宝暦3)に取り出された銘札(重要文化財)には、この両像が1186年(文治2)に時政が願主となり、運慶が刻んだとあって、『吾妻鏡』の記載と一致する。この寺の北側が池跡だったことは実測調査ずみだが、1970年(昭和45)の発掘調査により、『吾妻鏡』に記載された南塔跡や南新御堂跡その他が確認され、出土品などからもこの地が北条時政・義時(よしとき)・泰時(やすとき)3代で完成した浄土系伽藍(がらん)の願成就院跡であることが確定した。1973年(昭和48)に国の史跡に指定された。本堂裏手には、1491年(延徳3)にこの寺で北条早雲に討ち取られたという説がある足利茶々丸の墓が残されており、また、境内には北条時政の墓もあり、宝物館には北条政子追善のために作られた政子地蔵(地蔵菩薩坐像)がある。出土した古瓦や陶器・磁器類は、韮山郷土史料館常設展示されている。伊豆箱根鉄道駿豆(すんず)線韮山駅から徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報