須佐湾(読み)すさわん

日本歴史地名大系 「須佐湾」の解説

須佐湾
すさわん

こう山の西南に開口し、湾口をかめくびと尼ヶ地によって扼す。曲汀曲浦の名勝で、湾内に浮ぶ平島、雄島(天神島)松島など大小七〇の島々景勝は、江戸時代中期、須佐の領主で萩藩の家老であった益田就祥によって、「須佐十二景」として世に紹介された。また益田就祥は、風致保存の方法を講じ、海岸の樹木の濫伐を厳禁したため、鬱蒼とした樹林は湾の四周を覆い、幽を極める。北岸の一部頁岩はホルンフェルス(変成岩の一つ)に変移し、黒色と灰白色とが交互に層を形成し、奇観を極める(国指定名勝および天然記念物)

須佐湾
すさわん

知多半島の先端近くの南岸にあり、伊勢湾に南面する。湾の東は絶壁をなす標高六〇メートルの天神山があって東南の風を防ぐ天然の良港で、豊浜とよはま港として半島第一の漁港である。古くは須佐の入江として知られ、「万葉集」にもみられる。

<資料は省略されています>

荒磯松は天神山の下にあったと伝えられる。江戸期は千賀氏の水軍基地の一つでもあり、良港として船の出入も盛んだった。

文化一三年(一八一六)の戎講組合船数帳(内田家所蔵)によると、元禄四年(一六九一)須佐の持船九〇艘・入石数七〇〇石で、船数では日間賀ひまか島に次ぎ南知多第二位であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「須佐湾」の意味・わかりやすい解説

須佐湾
すさわん

山口県北端、高山(こうやま)半島南西側の沈水海岸。萩(はぎ)市須佐に属し、変化に富む景観地質学上の特徴によって国の名勝および天然記念物に指定。また、北長門(ながと)海岸国定公園に含まれている。湾内の阿武浦や蟶潟(まてがた)など静かな入り江の多い内海的風光に対し、湾外では天神島や屏風(びょうぶ)岩など豪壮な海食景が展開する。地質は第三紀須佐層群を高山斑糲(はんれい)岩が貫いて変成帯を形成し、その内帯が典型的なホルンフェルスとなり、その外帯にあたる畳岩や千畳敷の海食崖(がい)は砂岩、頁(けつ)岩の互層が美しい縞(しま)模様の露頭をみせていることで有名である。

[三浦 肇]

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世界大百科事典(旧版)内の須佐湾の言及

【須佐[町]】より

…一本釣り,小型巻網によるアジやイワシの漁獲がある。須佐湾(名・天)を中心とする海岸部は北長門海岸国定公園に指定され,高山(こうやま)の磁石石(天),ホルンフェルスの大断崖千畳敷など雄大な景観がみられる。犬鳴山北麓の唐津には近世に独自の須佐青磁などを焼いた須佐唐津窯跡がある。…

※「須佐湾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」