青木島村(読み)あおきしまむら

日本歴史地名大系 「青木島村」の解説

青木島村
あおきしまむら

[現在地名]城島町青木島

筑後川下流左岸に沿う。北対岸の浮島うきしま村と渡しで結ばれる。東は四郎丸しろうまる村、南は西青木にしあおき村。文禄四年(一五九五)の知行方目録では青木村の内か。青木島村開村記録(城島町誌)によると、慶長(一五九六―一六一五)頃に四郎丸村住人江島四郎左衛門(藤原正喜)によって開かれたという。元和三年(一六一七)江頭正玄と鷲頭右京が当地を青木島村と称して新開を計画した。江島四郎左衛門は開発を続け本願成就したので天満宮を祀り神田を奉納したという。「寛文朱印留」に青木島村とみえる。本高は四九四石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高五三〇石・役高五一二石余。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高五三〇石。文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田二一町五反余・開田七町二反余・畑四反余・居屋敷四反余、ほかに七島(葭場)一町二反余。

青木島村
あおきじまむら

[現在地名]長野市青木島町青木島 乙

さい川の南岸。松代道(現県道長野―真田線)に沿った村。

慶長七年(一六〇二)の川中島四郡検地打立之帳(小柳文書)に「五百拾壱石六斗四升弐合 青木嶋村」とあるのが初見。同一六年北国脇往還に丹波島たんばじま宿が開かれ、青木島村は丹波島宿の近隣に接続するため、駅場の補助として全村の半ばを分ち、高三〇〇石をもって丹波島に付せられた。これを青木島入高と称した(長野県町村誌)。ほかに助郷高八一石が割り当てられた。

枝郷の鍛冶沼かじぬま村は同八年海津城代花井吉成が、東流する裾花すそばな川を妻科つましな村においてせき止め南流させたため、元禄九年(一六九六)・同一四年の洪水村落を襲い全村流亡した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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