隠岐の島(読み)おきのしま

改訂新版 世界大百科事典 「隠岐の島」の意味・わかりやすい解説

隠岐の島[町] (おきのしま)

島根県隠岐諸島の島後(どうご)にある隠岐郡の町。全島一町。2004年10月西郷(さいごう)町と五箇(ごか),都万(つま),布施(ふせ)の3村が合体して成立した。人口1万5521(2010)。

隠岐の島町北西部の旧村。隠岐郡所属。島後北西部を占める。人口2173(2000)。周囲を標高500m前後の山に囲まれ,中央部を西流する重栖(おもす)川流域には比較的広い沖積平野があり,水田地帯となっている。北西沖合157kmにあり,韓国との間で係争中の竹島は当村に属していた。農林水産業が基幹産業で,稲作を中心に肉用牛,カキ養殖のほか,シイタケ栽培も行われる。郡(こおり)に隠岐国一宮の水若酢神社が鎮座する。屈曲が多い海岸一帯は大山隠岐国立公園に属し,ローソク岩や鉄砲岩が屹立(きつりつ)する代地先海面は海中公園に指定されている。
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隠岐の島町中部の旧町。隠岐郡所属。島後のほぼ東半部を占める。人口1万3194(2000)。八尾(やび)川が注ぐ西郷湾に発達した主集落の西郷は日本海の好避難港で,近世には西廻海運の北前船寄航地,また俵物の生産移出港として栄えた。明治以後も沖合漁業と日用品の島内集散で活気を呈した。現在はイカ釣漁が主であるが,近海ではマツバガニ漁が行われ,1959年からは三重県から技術導入して真珠の養殖も始められた。また,飯ノ山(236m)ではケイ藻土を採取する。古代隠岐国の中心で,飯ノ山古墳,国府跡,国分寺跡などの史跡が多く,流人の島であったため数々の哀話も伝えられている。浄土ヶ浦や白島海岸は大山隠岐国立公園中の景勝地。鳥取県境港,島根県七類から船便,隠岐空港と大阪,出雲との間に空路がある。
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隠岐の島町南西部の旧村。隠岐郡所属。島後の南西部を占める。人口2156(2000)。北部の横尾山(577m)を主峰とする急峻な山地が連なり,村域の大部分はその南西斜面を占める。海岸線は屈曲が多く,都万港や津戸港がある。農林業も漁業もともに零細で,離村者や出稼ぎが多い。肉牛を飼育し,草地改良事業により頭数の増加に取り組んでいる。漁業は古くからイカ釣りやタイの一本釣りが行われてきたが,近年は養殖漁業の振興,特にヒオウギガイの養殖に力を入れている。急崖の連続する海岸線は大山隠岐国立公園に属する。那久(なぐ)川上流の壇鏡(だんぎよう)滝は雄滝,雌滝に分かれ,滝壺にはオキサンショウウオがいる。また油井(ゆい)の池というマールがある。

隠岐の島町北東部の旧村。隠岐郡所属。島後北東部を占める。人口522(2000)。隠岐最高峰の大満寺山(608m)をはじめとする急峻な山岳が海岸に迫り,海岸線は屈曲に富む。湾入部の小さな平地に飯美(いいび),卯敷(うずき),布施の3集落が立地する。耕地はきわめて少なく,村域の大部分が山林で,古くから林産の先進地として発展し,計画的な造林,林産物の加工やシイタケ栽培が行われ,林野庁と県の援助による〈ふるさとの森〉づくりに取り組んでいる。大満寺山周辺や海岸線は大山隠岐国立公園に属し,浄土ヶ浦を中心とする隠岐布施海岸(名)は変化に富む多島海として知られ,キャンプ場や海水浴場もある。
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