門脇村(読み)かどのわきむら

日本歴史地名大系 「門脇村」の解説

門脇村
かどのわきむら

[現在地名]石巻市門脇町一―五丁目・日和が丘ひよりがおか一―四丁目・南浜町みなみはまちよう一―四丁目・南光町なんこうちよう一―二丁目・大手町おおてまち宜山町よしやまちよう双葉町ふたばちよう泉町いずみちよう一丁目・同三―四丁目・雲雀野町ひばりのちよう一―二丁目・潮見町しおみちよう中島町なかじまちよう三河町みかわちよう重吉町しげよしちよう西浜町にしはまちよう・門脇

牡鹿おしか郡南西端にあり、西はじよう川を隔てて桃生ものう矢本やもと(現矢本町)に対し、北は石巻村・蛇田へびた村、東は北上川を隔ててみなと村に対し、南は石巻湾に面する。日和山の南方を取巻くように東西に長い街村を形成する。正保郷帳に「門腋村」とあり、田六〇五文・畑一貫七九七文、ほかに同所新田として三三貫五二八文があり、旱損と注記される。慶安元年(一六四八)の伊達忠宗領知黒印状(伊達家文書)によれば、笹町新左衛門は当村などで二貫一二一文を加増され、都合九〇貫二一文を知行することになった。同氏は同五年にも当村などで一貫二一四文の加増を受けている。元禄年間(一六八八―一七〇四)の「牡鹿郡万御改書上」によれば、東西一里五町三〇間、南北一一町二〇間で、田九五貫三一四文・畑二〇貫七七二文・茶畑一一二文、うち新田三五貫五三二文で、人頭一三四人、男一千九二・女八五五、本町家数二九・中町家数三〇・砂場町家数四一・□町家数三〇、川村平八郎ら一二人の除屋敷があった。

門脇村
かどわきむら

[現在地名]根尾村門脇

越卒おつそ村の北西に位置し、根尾西谷ねおにしたに川と根尾街道に沿う河岸段丘に集落がある。字かみだんから石器が出土している。当地は根尾西谷への道と徳山とくやま(現揖斐郡藤橋村)への道の分岐点にあたり、根尾西谷の交通上の要地として古くから開けていたと推定される。正保郷帳によれば田方七石余・畑方四〇石余・紙桑木高七石余・山年貢五石余。明和五年(一七六八)の村明細帳(門脇区有文書)によれば村高一一七石余、小物成として山年貢九斗二升三合・真綿年貢四七六匁・紙年貢二二束・段木年貢六〇間・葛籠の藤一束・五倍子三合・漬蕨四〇把を上納

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報