長谷川角行(読み)はせがわかくぎょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「長谷川角行」の意味・わかりやすい解説

長谷川角行
はせがわかくぎょう
(1541―1646)

江戸前期の宗教家富士信仰行者富士講開祖。また、神道(しんとう)教団扶桑(ふそう)教および実行教の開祖。書行とも書く。その生涯については不明な部分が多い。伝記では、天文(てんぶん)10年肥前長崎に生まれたとされる。幼名を竹松、のち左近藤原武邦(たけくに)と名のる。18歳のとき諸国修行の旅に出、常陸(ひたち)(茨城県)水戸で師につき修験(しゅげん)の行法を修める。正旺(しょうがん)を行名とする。富士山の人穴(ひとあな)で苦行をなし、また九州、中国、北陸、関東など各地で修行を重ねた。1563年(永禄6)行名を角行東覚と改める。天下太平を祈り、人々の病気治しを中心とした布教活動を江戸をはじめ各地で行う。正保(しょうほう)3年、富士山中の人穴にて死去したとされる。

[井上順孝 2018年6月19日]

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百科事典マイペディア 「長谷川角行」の意味・わかりやすい解説

長谷川角行【はせがわかくぎょう】

戦国末〜江戸初期の神道行者。富士講の開祖とされる。《御大行の巻》によれば,1541年に生まれ,1646年に没したという。長崎の人。大峰,常陸(ひたち)の旭台などの山岳霊場をめぐり,修験(しゅげん)風の富士道の行者となり,天地開闢(かいびゃく)・国土の柱たる仙元大日の秘儀を感得し,その呪法(じゅほう)を伝えたとされる。角行以前の富士信仰を整理し,簡易な修行と現世利益教義を体系づけた。105歳で富士山麓の人穴で入定したと伝える。
→関連項目神道実行教浅間信仰扶桑教

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朝日日本歴史人物事典 「長谷川角行」の解説

長谷川角行

没年:正保3.6.3(1646.7.15)
生年:天文10.1.15(1541.2.10)
戦国末期から江戸初期の富士行者。書行藤仏という行名でも知られる。俗名は藤原左近武邦と伝えられるが真偽不明。長崎出身。自筆覚書によれば,18歳で諸国をまわる行者となり,富士山麓の人穴で角材の上に立ち続ける苦行をして,富士の神霊仙見から衆生救済の霊力と呪文を授かり,以後も富士山や富士五湖などで水垢離や五穀断ちの修行を続け,さらに啓示を得た。角行は弟子たちと共に江戸や北関東で護符を配ったり,病気治しをして信者を得た。この信仰集団は分裂しつつも18世紀以降大発展し,そのなかから組織された富士講は江戸時代庶民信仰を代表するもののひとつとなった。角行は,その開祖と仰がれ『御大行の巻』などの伝記が作られた(生没年はそれによる)。<参考文献>村上重良,安丸良夫『民衆宗教の思想』(日本思想大系67),岩科小一郎『富士講の歴史』

(宮崎ふみ子)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「長谷川角行」の意味・わかりやすい解説

長谷川角行
はせがわかくぎょう

[生]天文10(1541).1.15? 長崎
[没]正保3(1646)
江戸時代前期の神道家,富士講の開祖。書行,画行とも書き,藤仏,東覚とも称する。本名は武邦。生涯は伝説化されており,18歳頃修験道の行者として諸国を遍歴し,特に富士の人穴で断食,爪立ち,不眠の修行を積んだといわれる。富士の神である仙元大日 (浅間様,コノハナサクヤヒメ) を唯一神とする教義を提唱,関東地方の農村に布教し,元和年間 (1615~24) 江戸で治病を行い,江戸幕府に捕えられたこともあった。門人に日旺,大法などがいる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長谷川角行」の解説

長谷川角行 はせがわ-かくぎょう

1541-1646 織豊-江戸時代前期の宗教家。
天文(てんぶん)10年1月15日生まれ。富士講の開祖。18歳のときから修行にはげみ,富士山の人穴(ひとあな)にこもり苦行をして開眼。天下太平,悪疫退散をいのって布教し,人々の信仰をえたといわれるが,その生涯は不明な点がおおい。正保(しょうほ)3年6月3日死去。106歳。肥前長崎出身。通称は藤仏。

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367日誕生日大事典 「長谷川角行」の解説

長谷川角行 (はせがわかくぎょう)

生年月日:1541年1月15日
安土桃山時代;江戸時代前期の富士行者
1646年没

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世界大百科事典(旧版)内の長谷川角行の言及

【人穴】より

…この話は御伽草子《富士の人穴》によって広く知られた。また,江戸時代初期に富士講を開いた長谷川角行が修行したところとしても知られ,洞口近くには角行の墓や多くの富士講先達の碑がある。近くに人穴という名の集落があり富士講の宿としてにぎわった。…

※「長谷川角行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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