長者原村(読み)ちようじやはらむら

日本歴史地名大系 「長者原村」の解説

長者原村
ちようじやはらむら

[現在地名]舟形町長者原

舟形村の西、西流する最上小国もがみおぐに川の右岸にあり、対岸南方は富田とみた(猿羽根村)。初めは同村の枝郷扱いであったが、元禄一六年(一七〇三)一村となった(新田本村鑑)清水しみず河岸(現大蔵村)と羽州街道舟形宿を結ぶ道が東西に走る。「続日本記」天平宝字三年(七五九)九月二六日条にみえる避翼さるはね駅、同じく「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条で駅馬一二疋、伝馬一疋、舟六艘を備える同駅を当地とする説がある。

長者原村
ちようじやはらむら

[現在地名]岸本町坂長さかちよう

坂中さかなか村の北西越敷こしき山の北麓、長者原台地上に位置し、南西佐野さの川が流れる。長者原の地名は平安末期の豪族紀成盛とその一族が居住していたことによると伝え、字長者屋敷ちようじややしきがその地といわれていた。昭和五四年(一九七九)以降の発掘調査で同所から奈良時代―中世初頭の多くの建物遺構群が発見されている。元来は坂中村地内の荒蕪地で、元和四年(一六一八)石田いしだ(現会見町)庄屋吉持五郎左衛門が当地の開発を計画、鍬入れを始めたのが嚆矢であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報