長瀬真幸(読み)ながせまさき

改訂新版 世界大百科事典 「長瀬真幸」の意味・わかりやすい解説

長瀬真幸 (ながせまさき)
生没年:1765-1823(明和2-文政6)

江戸中期の国学者。通称七郎平。号田廬(たぶせ)。熊本藩士。初め草野潜渓従学,父正常からも礼式故実を学んだ。長じて国史古典に心を寄せ本居宣長に入門したが,江戸の加藤千蔭村田春海とも交遊した。《万葉集》を愛しその秀歌を選んで《万葉集佳調》《万葉集拾遺》を編したが,その訓詁注釈方面の研究にも力を入れた。門下に中島広足,和田厳足などが輩出,肥後国学の基礎を開いた。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長瀬真幸」の解説

長瀬真幸 ながせ-まさき

1765-1835 江戸時代後期の国学者。
明和2年生まれ。肥後熊本藩士。草野潜渓(せんけい)に儒学を,父長瀬正常に礼式と故実をまなぶ。寛政5年伊勢(いせ)の本居宣長(もとおり-のりなが)の門人となる。また江戸で加藤千蔭,村田春海らとまじわった。天保(てんぽう)6年5月28日死去。71歳。通称は七郎平。号は田廬(たぶせ),双松(そうしょう)園。著作に「肥後事蹟考証」,歌集に「田廬歌集」など。

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