長洲村(読み)ながすむら

日本歴史地名大系 「長洲村」の解説

長洲村
ながすむら

[現在地名]宇佐市長洲

駅館やつかん川河口東岸の低平地を占める。北は周防灘に面し、南は金屋かなや村、東は佐々礼さざれ村、駅館川対岸西方は沖洲おきのす村・神子山みこやま新田。中世は向野むくの郷の内。駅館川はかつて当地南部で東方に支流を分岐していたと伝え、地名は同川本支流に挟まれ中洲であったことに起因するという。また当地から江島えしま村・沖洲村にかけての入江を平重盛(小松内府)に由来して東側を小松こまつ浦の雅称でよび、西側をやなぎヶ浦とよんだともいう。駅館川が分岐していたとされる地は切戸きりど花水はなみずとよばれるが、これは中世の史料に散見する「切水」「きりうつ」にあたるか。また村北部の堀川ほりかわ湊は中世以来の要港であった。

文明八年(一四七六)のものと思われる年月日未詳の長洲床野地前田之内神のを方注文(永弘文書)によれば、当地には大明神(現長洲神社)全楽ぜんらく寺や「長洲塩屋」などがあった。同一二年六月一四日の某銭借用状案(同文書)によると、某氏は同一〇年「御炊殿御さい免重安分きりうつ三段」を担保に二貫文を借用していたが、この年徳政が行われたと思われ、貸主の嘆願によって一貫文は差置きとして新たに二貫文を加え計三貫文を六ヵ年の本物返しの条件で借りている。長享二年(一四八八)三月九日永弘氏輔は杉勘解由の出挙を六割の利で同年一〇月まで借用、返済できない場合は氏輔当知行の「重安分長洲きりうつ田地三反」を出挙の仲介をとってくれた橋津弾正に引渡し、後日本物返しで請返すべきことを約束している。永正一三年(一五一六)一月に乙村平左衛門が当地で殺されたことに端を発して、同年四月一六日豊後国来縄くなわ(現豊後高田市)の地下人吉久らが宇佐宮領「長洲村」に乱入放火などの狼藉を働き、豊前国側で八三人の負傷者を出した。このため同月二六日宇佐宮の神官社僧一同は宮司宮成氏に訴え、翌五月には豊後国守護大友氏の家老本庄伊賀守らに来縄郷住人への厳重なる成敗を求めている(同年四月二六日「益永道高等連署書状案」・同年五月「宇佐一社衆議状案」同文書)

長洲村
ながすむら

[現在地名]長洲町長洲

西と南は有明海に面し、うら川が東部を南流する。浦川・菜切なきり川による堆積と有明海の沿岸流で形成された砂洲上に立地し、北は牛水うしのみず(現荒尾市)、東は梅田うめだ村・平原ひらばる村と接する。長渚・長須とも記された。

「肥後国風土記」逸文に「玉名郡長渚浜在郡西」とみえ、景行天皇が当浜に泊したことが記され、「肥前国風土記」にも「在肥後国玉名郡長渚浜之行宮」とある。村の起源伝承として「国誌」には永暦元年(一一六〇)扇崎おうぎざき(現岱明町)より三人の者が海浜に居を移し、そののちに人家繁栄したという。また安永八年(一七七九)の「旧事記」(馬場文書)に「長冽ハ往時、泣冽浜、浜不(泣カ)、又千島浜と申所なりと云伝しなり」とある。なお「国誌」に記す四王子しおうじ山は、「檜垣嫗集」に「しはうし山をたいにて」として「おいぬれととしはかくしてありぬへししはうしやまと人に見ゆれは」と詠まれた地という。天文二〇年(一五五一)四月一七日、「長洲拾壱町分」が石貫いしぬき(現玉名市)二五町分などとともに小代親忠に宛行われている(「大友義鎮宛行状」小代文書)。慶長九年(一六〇四)九月の検地帳によると田二一町四反五畝余・畠屋敷二六町一反六畝余、分米三四四石一斗余。「藤公遺業記」には同一二年に菜切塘などとともに古塘が加藤清正によって築かれ、現荒尾あらお市南部から当村一帯に六〇町余の新地が造成されたといい、この築堤によって長洲出町と梅田村が陸続きとなり、奥行の深い入江であった浦川上流域の村々の新地が開発されていったと推定される。また寛文四年(一六六四)に新塘が築造された(旧事記)。新塘は清源寺せいげんじ村との間、全長約一・八八キロ、水門二基を備えた石垣堤防で、新田一〇三町余が干拓された。

寛永(一六二四―四四)頃に舟五九(二七は三端四端の間、三二は漁舟)を有し、水夫一二七がおり、江戸初期には郡内屈指の湊であり、漁業色の強い村であったことが知られる。

長洲村
ながすむら

[現在地名]御荘町長洲

御荘湾の北方に位置し、急勾配の山地に囲まれた細長い谷あいの村。西は平山ひらやま浦、東は平城ひらじよう村・和口わぐち村に接する。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)宇和郡の項に「長洲村 柴山有、茅山有」と村名がみえる。「宇和旧記」によると、勧修寺基経が天正一五年(一五八七)に尾崎政儀に与えた土地のうちに長洲の地名がみえるが、村として把握していたかどうかは不明である。宇和島藩領。

太閤検地の石高は一六四石六斗で、耕地面積の比率は田九三パーセント、畑七パーセント。寛文検地では石高が三六パーセント増加、耕地比率は田八四パーセント、畑一六パーセント。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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